21世紀が幕開け、新千年紀が始まった。この節目の年を迎えるに当り、ひとつ心に決めたことがある。それは縁あって暮らすことになったマニラにおける経験をできるだけインターネット上に公開してゆこうということである。

 今日では日本人の外国暮らしというのはそう珍しいことではない。私が出身の明大岡野ゼミ同窓生に限っても、布目(米国)、分部(英国)、高橋(中国)、大塚(中華民国)の4名が企業の命にて、海外駐在中である。私の場合、妻がフィリピン人で、商売はマニラにしか存在しないため、帰任先を持つ彼らとは立場が大いに異なるが、やはり外国暮らしの日本人(在外邦人)という点は同じだ。自分を育んだ環境と異なる社会・風俗・政治体制のもとでの暮らしには様々な部分で違和感や摩擦を感じる一方、思いがけない発見と感動が多々ある。

 また、インターネットは個人の意見や体験を少ない制約下で不特定多数に公開、共有化できるという意味で非常に優れたメディアであり、そのメリットを生かすような生活をしたいと考えるに至ったからである。海外生活が足掛け14年目の長期に亘るにつれておぼえる孤独感、孤立感にとって、このメディアは救世主とも呼ぶべきありがたい存在である。なお、本来は企業の公式HPにおいてこのようにダイアリーじみた文面を公開すべきではない。しかし、私にとってマニラでの仕事と生活とは一体のものであり、何よりもあさひ不動産というこの零細企業が、海外生活を選択した自分の姿そのものであるということから、あえてここにこのコーナーを開設することにした。このコーナーへのご意見は管理者へのEメール、本HPの掲示板への書きこみどちらでも構わない。フィリピンやマニラ、あるいは自身の如き生き方に関心ある多くの方からのご意見をお待ちしている。

 さて、20世紀は個人的には年末の住居移転で慌しく過ぎた年であったが、社会的にはエストラダ大統領の弾劾裁判と12月30日、フィリピンで初めての5件連続爆弾テロ事件で暮れるという悲惨な年であった。複数の爆弾テロでは19名の方がお亡くなりになり、特に軽量高架鉄道(LRT)ブルメントリット駅における死者11名、重軽傷者62名(31日まにら新聞朝刊)を数えた列車爆発では、手足をもがれた人々の阿鼻叫喚が響き渡るかの思いで報道を見守った。フィリピンでは元旦午前零時を正餐で祝うという美しき風習がある。その食卓を飾る料理こそ1年間の無病息災と繁栄を祈願するものであり、その神聖な儀式の食材を買いこむために街へ繰り出した人々をこのテロは無差別に狙った。

 私は外国人ゆえ他人の庭にて生活をしているという意識が常にあり、やはり、WINS邦人向けTVの水島総監督と同様、この国が自ら良い国になろうと必死でもがいているなか外国人たる我々が口をはさむものではない、という意見に共感するものだが、今回のテロに対してはひとりの人間としてたいへん憤りを感じた。これは例えば私が恒例のように訪れていた年始の明治神宮参拝をテロに襲わるにも匹敵する蛮行であり、フィリピン人の庶民文化に対する卑怯極まりない挑戦であると考える。また私の大事な客をお泊めしていたドウシット日航ホテルに仕掛けられた爆弾では、これを近所で処理中に爆発し、警官2名が殉職している。私が越してきた住宅地の門の向こうにそびえるホテルである。

 久しぶりに両親をマニラに招こうかなと考えた矢先の事件で、起き上がりこぼしの国情に深い脱力感をおぼえた。年始の挨拶、『マニラの風』コーナー新設の言葉がこれでは先が思いやられるが、気を取りなおしてやってゆきたい。