最近、読売新聞衛星版をよく読み、NHK、BS1をよく観るようになった。結果、以前にも増して日本の情報が飛び込んでくる。しかし、より多くの情報をこねくりまわしたとしても、分析結果はさして変わるものではない。

 5月22日、北朝鮮拉致被害者のなかで、地村氏と蓮池氏両氏の子供たちは来日が実現した。曽我さん一家は父親が元米国兵で訴追のおそれがあったため、来日できなかったが、米国と話がつけば、どこかで合流できるだろう。行方不明の10名については、再調査するという約束だけはとりつけた。

 日本国首相自ら北朝鮮に拉致被害者家族を引き取りにいくという異例のやり方による大成果であると私は評価したい。

 けれども拉致被害者や家族の会見を見ていて、落胆した。日本人の国際感覚の乏しさをまた実感した。

 まず、地村・蓮池両氏はまずは喜びを露わにすべきである。彼らのたった一つの願いが適ったのだから、それを素直に喜び、小泉首相に対し感謝の意を表明すべきであった。また、曽我ひとみさんは、彼女の家族が来なかったことに日本国政府に非はなかったのだから、不満を露わにすべきではない。自分の落胆の念を押して、地村・蓮池両氏に対して、自分の問題も直ぐに片付くから、私に構わず喜んでほしい。それを実現した日本政府を評価してほしいとと会見で述べるべきであった。

 国民がそうでなければ本当の政治家=ステイツマンは育たない。

 小泉首相が今回成し遂げたことは歴代首相の誰も適わなかった偉大なことである。日本は太古の昔から50年前まで、当たり前に中国や朝鮮から一家全員を「拉致」し、日本で「強制労働」させてきた。今でも中国から「強制連行」された人々が三井炭鉱における強制労働を巡って裁判をしている。北朝鮮がやっていることは、少し前までの世界の常識である。歴史を紐解くまでもなく分かりきった事実である。
 そんななか北朝鮮の非を認めさせて拉致被害者だけでなくその家族、行方不明者の捜索を求めることがいかに困難なことか。それが分かっていれば、小泉首相を評価できないはずがない。

 政府としては北朝鮮経済支援というカードでの取引しか方法がなかったはずだ。それすら困難な状況でよくやったを讃えるのが正しい評価というものだろう。

 それにしても日本国がまだ比較的豊かであるうちにこのような国際間の無理難題を決着させておかなければいけない。金で解決することができるのも今のうちである。