私のように毎日の労働時間が16時間にも及ぶとなると日常(=日々の所業)に埋没し、己を顧みる機会が少なくなる。これはたいへんなことだ。

 人生を有意義に生きるためには「常識」にではなく、「良識」に従って行動しなくてはならない。辞書によると「常識」とは「普通一般人が持ち、また、持っている標準知力」のことであり、「良識」とは「社会人として健全な判断力」なのだそうだ。日常から私たちは常識を学ぶことはできるが良識を学ぶことはできない。良識は我に帰るとき、つまり反省してはじめてそれに気づき、創造されるものである。

 非日常的行為や空間は私たちに良識を呼び起こしてくれる。非日常的空間にはお茶や音楽があり、非日常的行為としては週に一度の教会への参拝や読書、座禅などがあろう。また他人へ尽くす行為=奉仕活動もある。スポーツも非日常的行為ではあるが「勝負」や「技術の鍛錬」に神経を集中するために、反省のための行為に相応しいものではない。

 私は日常埋没型の人生を送りたくない。「金儲けと他人より豊かな生活だけが人生だったら、私はビルから飛び降りて死ぬほうがいい」と常々思っている。私にとって人生とは意識して生きるべきものであり、惰性で生きるべきものではない。

 私にとって有意義な人生とは良識に従って生きる人生のことだ。その良識を培うためには非日常的所作や行為、空間が必要だが、今の私の「日常」にはそんな「非日常」が存在しない。それは大いに問題であり、早く改善しなければ人生を棒に振ってしまう。