日本も物質的には豊かだろうが、精神的には全然豊かさを感じない。賃金の割には生活費がべらぼうに高いので、仕事と金儲けに忙しくて友や家族をを思いやる暇はあまりない。あげくは「仕事が生きがい」と言い放つしか、救いはないのである。近隣国の貧困も道義的に気になるのだが、あまりにも忙しく構っていられない。そこでその世話は政府に任せっぱなし。

 人生の多くの時間を納税に費やし、その割に税の使い道や国家に対し文句を言わず、老後はとても心配。ということで、日本国民はあまりにも愚直過ぎる。そのストレスから安い発展途上国では小銭で女を漁るなど日本では許されない不埒なことをして内外から批判を受ける。子供がぐれたり、フリーターになってしまうのは本当は「納税が生きがい」の親たちを敬うことができないからだ。従って、あまり得することもなく、徳が高いとも言われない国民である。

 フィリピンは物質的には貧しいが、家族と友を思いやる気持ちと暇な時間がふんだんにある。けれどもあまりにも貧困ゆえ、他人に対しては嫉妬以外に殆ど関心を払うことができない。仕事がないから納税しないし、納めてないので税の行方にはあまり関心がない。その割りには暇なので大統領選びには特段の関心を持ち、一票の行使のために投票場には必ず出向く。

 他人のことはどうでもよい。それどころか自分と家族の幸せのためには多少「他人の犠牲」があってもやむをえないと考える。公共心は誰も育ててくれないし、社会保障制度は未整備でも仕方がないと諦めている。いよいよ社会保障の恩恵に預かりたければ、アメリカやカナダに移民すればいいのだと考え自国の制度的発展には無関心である。従って、あまり得することもなく、徳が高いとも言われない国民である。

 まあ、結局、『人は皆、それなりに幸せで、それなりに不幸なのだ』


:日本は国民に「納税が生きがい」といわせたい国家が、「仕事が生きがい」といわせるのに成功した国です。時間あたりの賃金は先進国中では最低の部類。低賃金でとにかく働き続けるしかない。だから取られた税金の行方を追う時間的余裕などありません。

 対価を求めずに多額の税金を払い続ける国民。

 政府にとって日本国民は愚直でとっても扱いやすい。どの国の政府も自国民が日本国民のようだったらいいなと思うはずです。

 ブッシュは言うでしょう、日本人は素晴らしい国民だと。 
 米国人は言うでしょう、日本は素晴らしい国家だと。

 でも米国人は日本人になりたいとは言わないでしょう。

 このせちがらい世の中、サラリーマンが「仕事が生きがい」というときには「納税が生きがい」、または「会社の肥やしになるのが生きがい」と言っているようなものだ。騙されてはいけない。自分の人生は自分のためのものだ。明治政府ができて人権が認められ、既に140年近く経過している。そろそろ目を覚まして、人生を自分のため、あるいはもっと高次な目的のために使いましょう。