1994年サッカーW杯の一次予選、日本対イラクの試合で起きた「ドーハの悲劇」はイラクにとってもひどい悲劇であった。

 日本はW杯悲願の初出場をかけて強豪イラクに挑み、2対1で勝利目前のロスタイムにイラクに同点ゴールを許して夢は潰えた。
 
 この「ドーハの悲劇」。イラクにとっても格下のはずの日本を相手に不覚にも引き分けた試合であり、帰国した選手にはひどい拷問が待っていたとのこと。あのまま敗れていればゴールキーパーは殺されていたかも知れない。イラク選手は決死の同点シュートを放ったのであって、引き分けに終わったあの試合はイラクにとってもまさに「ドーハの悲劇」だったわけである。

 このほどサダム・フセインの長男、ウダイ・フセインがオリンピック委員会会長だった頃にオリンピック選手のための「強化策」に使用したという拷問の道具の写真が公開された。中世欧州に立ち戻ったかのようなおぞましい拷問器具の数々を見ていて、フセインがその恐怖政治をスポーツにも応用していたのだと改めて思い知らされたのである。

 最近、BS1ではアジア杯サッカー予選中継をやっている。昨晩はイラク対サウジアラビア戦。試合は既に後半戦、1対1の同点の場面であった。母国が戦後のどさくさのなか満足のいく練習などできるはずもなくイラクはさぞかし弱いチームだろうと思っていた。ところがどっこい。私が見ている前でイラク選手が鮮やかに勝ち越しゴールを決めてア杯2次予選進出を果たしたのである。

 「ドーハの悲劇」では引き分けてもひどい拷問が与えられた。当時W杯サッカー協会会長でもあったウダイ・フセインは大統領府直属の軍隊2万人の指揮官として弟クサイ氏と並んで残忍な指導者と国民から恐れられていた。

 国家や企業、チーム、団体の統治形態にはいろいろある。昨日のイラク勝利の試合はイラク人が拷問や抑圧なしでも強くなれるのだということを内外に示したことだろう。

 私は多国籍軍によるイラク侵入は大きな過ちだったと思うが、フセイン政府を打倒し、残虐なプリンス2名を殺害し、サダムを捕らえたことだけは、一部のイラク人にとっては評価されよう。けれども国家国体を作るのは国民自身であるべきであって、他国の軍事介入を招いたイラク人はよっぽど腰抜けだと思う。暫定政権樹立後も一向に治安回復の兆しをみせないのはそのことを如実に物語っているとはいえまいか。

 デモクラシーを自国民の手で勝ち取ることのできなかったイラクの夜明けまだまだ遠い気がする。