『詐欺罪などに問われた日本人男性が法廷通訳不在のまま禁固刑を言い渡された裁判で・・・判決を受けたのは長野県大町市出身の海谷英利被告(56)。同被告は英語はほとんど話せないが審理先のダバオ地裁は通訳不在のまま公判を続け、七月二十三日に「被告の証言は理解できない。「同大使館の日本人領事も支援のため法廷に来ておらず、被告は自己弁護を放棄したとみなす」として禁固二十八年(不定期刑)を言い渡した。公判は二〇〇一年十二月の起訴以来、計三十六回開かれ、通訳不在のため被告人陳述・尋問は行われなかった。・・・・・』(8月13日(金)付マニラ新聞1面から)

 フィリピンの裁判では英語または現地語が使用される。本件では、詐欺罪で起訴された日本人が英語を解さず、日本大使館ダバオ駐在官事務所は被告弁護士に複数の通訳会社を紹介したにも拘らず通訳なしで裁判が続けられ、被告の陳述が全く理解できないダバオ地裁は「大使館も見捨てた被告」に対して、禁固28年の有罪判決を言い渡したというものである。

 マニラ新聞の報道では「海谷被告の弁護士が同大使館ダバオ駐在官事務所を訪れた際、同事務所複数の通訳会社を弁護人に紹介した。しかし、その後、弁護人が代わったことなどから通訳を見つけることができなかった」というのである。そしてこの記事は「またもや日本大使館が邦人保護の義務を果たさなかったこと」を非難する内容となっているが、私には、被告が家族や友人から見捨てられていることの方が重大だと思う。

 私は本件関係者ではないので、記事のみで判断するしかないが、フィリピンに長期滞在する一邦人として、この記事を一読して感じる疑問は、

 ?被告に友人や家族はいないのか  ?ダバオ日本人会は何をしているのか

の2点である。

 まず、もし被告男性が親戚縁者、知人にとって有益といわぬまでも無害の人物であった場合、36回の公判の間に必ず支援の手が入ったに違いない。けれども被告が日本でもトラブルや事件を起こしてフィリピンに逃れてきた者だったならば、親戚縁者、知人にとって彼はいわば「厄介者」。ム所に入ってもらった方が世のためとして見捨てられてしまった可能性がある。まあ、ダバオ市長が強力な自警団を抱えていて、毎年何十人ものならず者が裁判を待たずに抹殺されているから、彼は少なくともダバオではワルとして名を轟かせてはいないはずである。

 もし仮に彼が無害の人物であって、本当に単に通訳の不在が理由で有罪判決が下ったとしたならば、ダバオ日系人会にとっては恥であるはずである。少なくともダバオ日系人会会長の立場であれば恥ずかしくて外を歩くこともできないし、100年の歴史をもつダバオ日系人社会全体がその謗りを受けよう。

 海外邦人とはいわば「他人の庭で生活をさせて頂いている」受動的立場である。所詮、日本人によって作られた国ではないフィリピンに置いてもらっているのだから、その「へりくだる」気持ちは絶対に忘れてはならない。それを忘れて物価が安い、わずかなお金が大金に化けるとして、フィリピンで傲慢に振舞う邦人がよく事件に巻き込まれる。

 しかし、同時に我々は外国人として法的に非常に弱い立場に置かれているのも事実。従って、いざというときのために周囲のフィリピン人や在留邦人と連帯しておくことも大事なことである。

 結論として、海外邦人に求められる生活態度とは「フィリピン人と不用意にトラブルを起こさないこと。日頃から自己防衛のためにも邦人社会と親しくつきあいをしておくこと」の二点である。

 また事件に巻き込まれたとき、日本大使館に援助を期待をしてもほとんど無駄であると思った方が良い。海外では一般外国人をその所属国家在外官庁が守るには限界がある。他力本願で損をするのは自分だ。従って海外では自分の身は自分で守るべきなのであり、そう考える自律的日本人にフィリピンへ来てほしい。