今年も余すところ10日となった。本来、今年のまとめ、つまり総括をしなくてはならないところだが、残念ながらそれは得意ではない。私は今年の十大ニュースの三つさえすぐには思いつかない人間だ。これにはもちろん私の記憶力が弱いという決定的な理由はあるのだが、それ以上に眼前の課題の処理で頭が一杯だからだ。これは私の処理能力、つまり性能の問題でありいかんともしがたい。脳ミソはパソコンのCPUのように容易には取り替えることができないのは悲しいことだ。

 さて前の書き込みから早や一ヶ月が経過した。といっても決して停滞していたわけではない。むしろ極めて充実した数十日間であった。

 邦人を犯罪から保護する財団のホームページを立ち上げてすぐに、ある日本人から打診があって、その方の被害の届けから刑事事件としての起訴に至るまでに携わることになった。もちろん私自身は外国人で刑事でもなければ検事でもないので、直接私が手を下したわけではないが、日本人被害者ということで、私のような現地にある程度精通した日本人の助けが、事件の捜査から起訴に持ち込むまでに極めて重要であり、有効であることを知った。

 被害者の救済のための支援というものをこれまでフィリピンに住む日本人が組織的に行ってこなかったこと、日本大使館や国際警察などの政府機関ですら指をくわえて見ているだけという悲しい現実。日本製品の高品質から日本民族はかなり高レベルの民族であると勘違いしていたが、本件ひとつをとってみてもそれが幻想に過ぎないことは明らかなのである。そして琉球民族の末裔たる私も腰抜けのひとりだった。

 私が一ヶ月ほど前、日本大使館の邦人保護担当官にこの財団の話をしたところ、まず一笑にふされた。民間でそんなことができるはずがない。(注:その話をして間もなく当財団は一つの事件の捜査と起訴を実現した)。そしてそんな運動をする者は必ず「私利」のためにやっているはずだから、私のような立場(=某邦人団体の代表)の者が関わるべきではない(注:少なくとも私は彼の言うように私利のためにではなく、明確に日本人の誇りと琉球民族の名誉のためにやっている)というのがその外交官の主張であり、忠告でもあった。

 私は彼の言葉を重く受け止めたい。しかし、その言葉には「殺され損」ともいわれるフィリピンの現状、日本人を食い物にする犯罪者野放しの現状を打開しようとする意志は微塵も感じられない。大使館が腰抜けだから日本人が犯罪のターゲットにされるのだといわれても仕方あるまい。

 もしもフィリピンがこれからも私たち日本人にとって法治主義と社会正義を実現できる国でなければ我々のフィリピンに対する将来的投資は衰えるばかりだろう。それは日本人にとってもフィリピン人にとっても大きな損失であるという認識が必要だ。

 犯罪に立ち向かうことは勇気のいることである。しかもフィリピンのように容易に火器が手に入る社会では、日本以上に危険が伴うのは言うまでもない。発展途上国における生命は安いのだ。

 そして相手もシンジケートと言われる集団で恐喝をしてくるのであり、こちらも組織でそれに立ち向かうしかない。要するに的が多ければ相手も軽率には襲ってこれない。ということで、一人でも多くの者が、この泣き寝入りをしない、させない運動に加わってほしいと訴えるのはそのためである。

 さらにそれだけではだめだ。仕掛けてくる犯罪者や犯罪組織に対する防護と牽制や対抗手段、刑務所にぶち込むことのできる強制力を有していることが絶対条件だ。この財団はそれを持っている。だから私は関わることにしたのである。

 とはいえ、安全は外国では自らお金を掛けて買うものである。それを相手次第、つまり軽はずみには襲ってこないだろうと第九条よろしく無防備でいるのはいかにも間抜けで私の主義になじまない。そんなわけで私もとうとうボディーガードとやらをつけて行動することになった。これまでと違って思いつきで田舎に出ていったり、ショッピングモールをうろついたりということはできなくなるが、自ら犯罪者の標的役を買って出た以上、これくらいの制約は覚悟しなくてはならないだろう。明るい邦人社会を築くためにこの組織は必要不可欠のものである。

※(07年8月19日追記)この財団は私の意思とは異なる道を歩み始めたので私は脱会しました。まあそのうちに今度は自分で新たな組織を立ち上げます。