やはり人間は年をとっても、年齢を重ねても、常に新しいことを始めたくなるもの。かつていわれていた「マイブーム」というのもその傾向を形容したものか。
最近、石鹸なしで風呂に入ることを覚えた。
子供のときから親に仕込まれた誰もがやっている習慣を変えるのは抵抗のあること。
既に20代の頃から洗髪にシャンプーではなく、石鹸を用いることを行っていた。シャンプーというものすぐにストックがなくなる。その度に自分のブランドを探して店へ行き、目当ての商品が見つからなくて落胆する。ある日その馬鹿らしさに気づいたのである。自宅に戻って石鹸で髪を洗ってみた。洗えるではないか。テレビでさかんに流されているシャンプーの宣伝。それに踊らされていた自分がその輪の中からはみ出した。これ、まさに快感。
同じように、最近ハタと気づいた。幼い頃からの習慣。石鹸で風呂に入るというのは、日本ではたぶん明治以降、苛性ソーダが日本にもたらされて以降の習慣であって、太古からある習慣ではないのだ。
ためしに石鹸なしでシャワーを浴びてみるとなーんだ結構いけるじゃないか。もちろん、化学繊維でできた高性能の「垢すり」あっての試みだ。「湯上り美人」などといわれたが、それさえ石鹸に含まれる香料の匂いであり、彼女の本来の匂いを表したものではない。シャワーの水を流しっぱなしでガンガン体が洗えるのが良い。石鹸を使うにはお湯を小休止して、石鹸の塗る時間が必要だ。これが私には面倒臭い。石鹸のついたぬるっとした手でガランに触るのも実は気持ちの悪いことだったのだ。
かくして私は石鹸なしの体になった。ケミカルフリーである。
ところで、最近ダイエットをしている。食事は夕食だけ。「一日一膳」である。すると体重が減ってくる。73キロ、だったのがじわりじわりと一日0.5キロくらいのペースで減ってきて、今は66キロ。それと、胃が縮小し、これまでの半分くらいしか食べられなくなった。まさに快感。たくさん食べて減量のために運動をするというのは邪道であり、長続きするはずがない。
江戸時代まではせいぜい一日2食というのが日本人の食生活で、3食になったのはこれも生活が豊かになった明治以降の習慣である。
何時間も食事抜きをすると胃が食物を求めて緊張する。そして食事にありついたときの幸福感。胃に染み渡る食物のありがたさ。皆さんもぜひ「一日一膳」の快感を味わっていただきたい。
最近、石鹸なしで風呂に入ることを覚えた。
子供のときから親に仕込まれた誰もがやっている習慣を変えるのは抵抗のあること。
既に20代の頃から洗髪にシャンプーではなく、石鹸を用いることを行っていた。シャンプーというものすぐにストックがなくなる。その度に自分のブランドを探して店へ行き、目当ての商品が見つからなくて落胆する。ある日その馬鹿らしさに気づいたのである。自宅に戻って石鹸で髪を洗ってみた。洗えるではないか。テレビでさかんに流されているシャンプーの宣伝。それに踊らされていた自分がその輪の中からはみ出した。これ、まさに快感。
同じように、最近ハタと気づいた。幼い頃からの習慣。石鹸で風呂に入るというのは、日本ではたぶん明治以降、苛性ソーダが日本にもたらされて以降の習慣であって、太古からある習慣ではないのだ。
ためしに石鹸なしでシャワーを浴びてみるとなーんだ結構いけるじゃないか。もちろん、化学繊維でできた高性能の「垢すり」あっての試みだ。「湯上り美人」などといわれたが、それさえ石鹸に含まれる香料の匂いであり、彼女の本来の匂いを表したものではない。シャワーの水を流しっぱなしでガンガン体が洗えるのが良い。石鹸を使うにはお湯を小休止して、石鹸の塗る時間が必要だ。これが私には面倒臭い。石鹸のついたぬるっとした手でガランに触るのも実は気持ちの悪いことだったのだ。
かくして私は石鹸なしの体になった。ケミカルフリーである。
ところで、最近ダイエットをしている。食事は夕食だけ。「一日一膳」である。すると体重が減ってくる。73キロ、だったのがじわりじわりと一日0.5キロくらいのペースで減ってきて、今は66キロ。それと、胃が縮小し、これまでの半分くらいしか食べられなくなった。まさに快感。たくさん食べて減量のために運動をするというのは邪道であり、長続きするはずがない。
江戸時代まではせいぜい一日2食というのが日本人の食生活で、3食になったのはこれも生活が豊かになった明治以降の習慣である。
何時間も食事抜きをすると胃が食物を求めて緊張する。そして食事にありついたときの幸福感。胃に染み渡る食物のありがたさ。皆さんもぜひ「一日一膳」の快感を味わっていただきたい。