私は名うての「病院嫌い」で「薬嫌い」である。個人的には「西洋医学」についてはその有効性を一部しか認めていない。私の病院嫌いは今に始まったことではないが、最近ではその思いをいよいよ強くしている。
 私の義理の母はフィリピンで日本人の経営する病院で斬られて死んだ。切る前は検体では良性だから切除すれば治ると言う。切ってみると転移していたとして子宮を全部摘出。術後、意識は殆ど戻ることなく、一週間で死亡。執刀医は斬った後、いや死んだ後で末期癌だったという。それでは武士の試し斬り以下ではないか。しかも手術入院費用を全額支払うまでは遺体も引き取らせてくれない。これが、医療行為と云えるのか。国際電話の向こうで嗚咽する妻に、義母の最後の昏睡の様子を聞きながら、「ここで頑張ればあと10年は持つよ」と云って義母を勇気づけ、手術を踏み切らせた自分を悔やんだ。私も義母殺しの片棒を担がされたと気付いた。
 実は先月末の2日間、私は風邪を引いてしまい寝込んでいた。熱が38度を越えると、病院好きの妻は念仏のように、「風邪薬」を勧め、「病院行き」を勧める。熱がいよいよ9度に達すると、やれ「さっきのシャワーが悪かった」だの、「熱さまし」が必要だのと騒ぎたてる。毎度の事ながら、実にやかましい。「あのね、熱は風邪のビールスを焼き殺す自己防衛システムで、体が正常に反応している証拠。これでいいの」と、既にこちらの舌にタコのできるほど云い聞かせた持論を幾度展開しても、一向に分かる気配はない。確かに、この集中戦に際し、こちらの用意した武器は水、オレンジ、厚着。羅列しても恥ずかしくなるほど拙い武器。「風邪薬」という近代兵器に慣れた妻には、心もとないのであろう。果たして、ビールスと防衛軍は西洋医学の援軍を待たずに9度5分の山頂で激突を繰り返す。そして、司令官たる我が脳みそが、濡れタオル空しく自己熱に朦朧とし、「まさか、敵はビールスではなくて、『デング熱』とか自分の知らぬ相手ではないな。さもなくば、なぜに、これほど熱が乱高下するのじゃ。敵が風邪でなくば、この戦・・・、我が軍の敗北じゃ」などと、ワンパターンの采配に疑いを持ち出す頃、ようやく、ヤマを越えるのである。胸をなでおろしながら、「敵は強し!やむなく救急病棟へ!」などと号令しなくてすんだ自分に小さな拍手を贈りつつ、よれよれの勝ちどきを上げる頃、敵の犠牲となった汗まみれの上着や浴衣、肌着が床中を覆い尽くすのである。
 そもそも「原因と結果」という言葉がある。俗説では、西洋医学は結果を取り除く行為であり、東洋医学は原因を取り除くことに力を注ぐ行為であるという。私は、もちろん、生命活動はすべて体内における無数の化学変化の連続であるという事実から、化学薬品の有効性も否定するものではない。しかし、できれば薬やメスの力を借りずに、体力で病気を治すのが一番であるということに異論はあるまい。誰でも、病気になりにくい体質作りをしたいはずなのだ。
 日本の国会では保健医療費におけるサラリーマンの3割自己負担が通過した。フィリピンでは自己負担が8割だから、まだまだ先進国の状況は羨ましい限りである。しかし、その保険制度も少子のために破綻に瀕している。私のような病院嫌いは、高価な薬を必要以上に売りつける病院の算術には合わないだろうが、保険制度は少しでも延命できて、国家のそろばんには合う人間である。重い疾患の持ち主や筋肉や内臓を鍛えることすらできない人は別にして、私のような「普通の人たち」は、無用な病院通いと薬礼賛をやめて、自宅で眠っているバットとか、テニスラケットを振り回してみてはどうであろう。