2003年02月

88 クラゲのように水面を漂う

2003年2月18日(火) 

  週一度の休日すら出掛けられない日々が随分続いて、なかば切れた状態で、海水浴に出掛けた。
 水浴でなくてはならなかった。なぜなら先日、「近視矯正レンズ入り水中マスク(メガネ)」を新調したからである。ひどい近視の自分は、ひとたびメガネをはずすと何も見えず、海で泳いでも面白くも何ともなかった。私にとって水中とはただの「ぼんやり」とした世界だったのだ。従って、海水浴に出掛けても、水に入らないことも多く、ただ酒をくらってとぐろを巻くということが多かった。
 近視矯正水中マスクがあると人から聞いて、ようやく手に入れた。装着してみて感激!水中では。海底にころがっている石コロの一つ一つまで見えるのである。たった一万円ほどの出費で、世界が変わるほどの威力である。
 そして、「スノーケル」というJ型のパイプ。何の変哲もない管だが、これは便利である。海底を見ながら、海面に顔を上げなくても息が吸える。これなら、泳ぎの下手な自分でもかなり深いところまで行っても大丈夫・・・といい気になっていると高波でパイプに水が入って溺れかけた。海水を少し飲み込みながら、ほうほうの体で、浅瀬に戻り、スノーケルの使い方をチェック。なるほど、水が入っても強く息を吐き出すと上からある程度排水することができる。そして、残った僅かな水はもっと強く吹くと排水弁から水が抜ける構造である。これだと、潜水しても、海面に頭を出せば、いつでも排水して泳ぎを続けることが出来る。なかなかゴキゲンなシロモノではないか。酒飲みの自分が時々巻く管と違って、実に優秀な管である。

 しかし、私にはもう一つ課題があった。私は「紫外線アレルギー」という軟病(軟派な病気の意味)の持ち主で、強い紫外線に当たると、関節を中心に痒みを伴う吹き出ものが出て、3週間は消えない。それも海水浴が嫌いな理由であり、両親は私が幼い頃、不憫に思ってか、大きな病院によく連れて行ってくれた。そして、体質改善のための塗り薬だの飲み薬だの何種類もいろいろ試してもダメで、結局、病院と医薬品メーカーの肥やしになったといういきさつがある。しかし、この紫外線アレルギー、命には別状ないし、人に感染するものでもないので、30年もほっておいた。
 今回はその軟病対策のために、妻から勧められてはじめて「日焼け止めクリーム」なるものを塗ってみた。これは効果があった。泳いでいる間も、いつも感じるようなヒリヒリとした痛みがない。(これを書いている今も吹き出物に悩まされないので、特効薬であったといえる)。
 そんなわけで、今回は嬉しく、楽しく、2時間近く、海面を漂った。まるでクラゲのように手足をブラブラさせて・・。
 これで、あとはフィン(足ヒレ)さえ手に入れれば、随分遠くまで泳いでいくことが出来るはずである。ということで、私の場合、近視矯正水中マスク、スノーケル、フィン、日焼け止めクリームがあれば、楽しく海水浴ができるということが、はじめてわかったのであった。

 なるほど、食わず嫌いはいけない。時には、重い腰を上げ、何かを試してみて、世界を広げてみる努力も必要である。これから日曜日、他にすることがなければ、車を転がして、いろいろなところに出掛けることにしよう。

87 夢みるオヤジ

 今日はバレンタインデーである。それに、ちなんだお話をひとつ、と言いたいところだが、そこは、季節感のないフィリピンのこと、まったく、無関係なお話を。

 私は就寝中にみる夢が好きである。年取るにつれ、見る夢は具体性を増し、より矛盾のないものになってきた。デタラメで支離滅裂な夢はめったに見ない。私の場合、睡眠時間が6時間を超えると、多くの夢を見ることを知っているので、それが楽しみで、日曜日の昼間など、ベッドから出ないで、2、30分おきに見る十以上の夢を楽しんでいる。女房にはあまり云わないのだが、これは半ば私の趣味と化している。

 さて、2月6日にこのコラムに書いた「新車が盗まれた」夢であるが、この夢から、人間の脳は複数の部分で同時に考えることができるとわかる。つまり、この夢のシナリオを書いた脳と、カギをすりかえられ騙される脳が存在するわけである。カギをすりかえられた脳は、最初そのトリックに気付かず、車が消えて初めて、してやられたことに気付いて青ざめるわけで、これを見てほくそえんでいる別の脳が確かに存在するわけである。

 「多重人格症」とか「分裂症」というのは、複数ある脳のなかでも中心的役割を果たしている「自我」と呼ばれる部分が何かのきっかけで統率力を失い、他の補助的脳の部分を制御できない状態にあるのであろう。

 いずれにしても、個人の脳には「複数の部分で」「他方に知らせずに」「異なる事柄を」「同時に」「考える」ことのできる機能があると推定されるわけである。

 脳の不思議については昔、立花隆の「脳死」で初めて興味を覚えたのだが、いまはどの程度、研究が進んでいるのだろう。最近特に酒を飲んでいるときの記憶力が減退してきた。脳についての本でも読めば、多少は改善する、なんてことはないだろうな。

86 知を信じるのは

 
 私は子供の頃、本好きであった。本好きにさせたのは両親、特に父親である。子供には贅沢をさせるべきではないというのが親の信条だったのだろう。お小遣いを持たせてもらった記憶は余りない。おもちゃやスポーツ器具等、ほしくても、なかなか買ってはくれなかった。そのため、自分のほしいものを買える、あるいは買ってもらえる「普通の家庭」の友人を羨ましく思っていた。

 両親は、私のほしいものをほとんど買ってくれなかった。が、唯一すぐに買ってくれるものがあった。それは本だった。「本を買いたい」と云うと、母親は黙って財布からお金を出した。それが割合、高価であってもすぐ出した。だから、私は本だけは不自由せずに育った。それが私を本好きにさせたのである。

 その親父は、本はおろか古新聞さえ、私たちが足で踏むことを許さなかった。「新聞や本には知識がつまっている。それを踏むのは自分の頭を踏むようなものだ」と言い放った。そのお陰で、卓球に明け暮れた高校時代は別にして、小学、中学時代、図書館から本を借り出していない日はほとんどなかった。小学校ではやはり本好きの元彼女(小学校一年のときに手をつないで学校に行っていた)と競うように本を読み、図書館の小説はほとんど読破していた。そうそう、図書カードに彼女の名前を見つけては「しまった。先を越された」などと思っていた。

 私は、浪人を経て、東京の大学に入った。浪人時代から続けて「新聞奨学生」として、新聞配達をしていた。しかし、大学3年をなると、姉が就職をしたため、親は私の学費を払い、毎月10万円を仕送りしてくれるようになり、新聞配達をしなくてもよくなった。10万円は当時は父親の給与の半分近い大金であった。その後も、勢いからかアルバイトをいくつも掛け持ちしていたので、お金には随分ゆとりがあった。

 大学が御茶ノ水にあったので、暇さえあれば、神田古本街をほっつき歩き、好きな本を買い漁った。3千円もする専門書を何の躊躇もなく購入する私を見て、同級生は目を丸くしたものだった。私の蔵書は大学卒業の頃は、700冊に達するほどで、何かの論文を書くにも、自宅の本棚から何冊かピックアップすれば、大抵、事足りた。私は3つの本棚一杯の本に囲まれて豊かな気持ちで大学生活をおくることが出来た。

 東京でしばらくサラリーマンをしていた頃、大学の頃にとても買いたかった全集を買った。7万円也であった。本を前にしてドキドキした。幸せ一杯であった。

 一方、私の妻の家庭は正反対だったらしい。彼女が本を買いたいというと、父親は「図書館で読みなさい」と云ったそうな。ところが、何か食べたいというと、夜中でもバイクに乗って買いに行ってくれたという。食べ物には不自由をさせないというのが、モットーだったようだ。あきれるほどの生活環境の違いである。

 そして、それから数十年を経た今、妻のお腹は張り出していて、私は頭でっかちである。なるほど、親の教育は職業や人生だけでなく、体格さえも決定するものだ。

84 友が・・・


 私には友がいる。大学のとき以来に現れた15年ぶり、久しぶりの親友である。付き合いはたったの2年。歳は自分より5つも上。自分が相手は親友だと思うのは思い上がりであろう。しかし、恋愛と同じ、相思相愛がすべてではない。自分が思う人を自分がどのように扱うかが問題である。とは、愛されたことのない人間のたわごとに過ぎないと云うひともあろう。でも、それでもいい。

 その友がもうすぐフィリピンを去る。そう、宮使いでは仕方がない。赴任したときからカウントダウンは始まっていた。実に淋しい。そう、たくさんのことを教えてもらった。人は他人の所作を評しても、本人の前で、それを口にしない。それを云って、相手が反省するどころか、逆に嫌われたり、悪く云われたりしたくないからである。それが、普通。保身というものである。本人の前で言いにくいことを口にしてくれる人、それが親友である。真の友である。
 今でもたくさんのことを教えてもらっている。帰る直前までである。

 さて、その友とは、過去2年を、例えばNHKのドラマを批評して、互いの感性を磨いてきた。ここで、最後かも知れない、最近放映された石田ひかり主演の「かるたクイーン」について私の批評を述べる。
 内容は大したことはない。本物のかるたクイーンからすれば、はるかにただのあまちゃんの世界である。しかし、その描写のなかで、大阪の零細製造業者の、自宅が工場で、銀行により高価な機械を購入させられて、返済に喘ぐ彼らの悲哀だけは、生々しくて評価される。でもそれもあまちゃんなんだね。実際は、「お前は、家庭がどんな状況なのかわかっていてやっているのか」なんて親父から怒鳴られ、娘にカルタなどさせている状況では全然なくて、それこそ、一家離散をしたり、無理心中などで全てを失い、事件になれば、たった数行の新聞記事で終ってしまうのだろう。そういう世界だ。

 自分の人生のなかで、親友と呼べる人をあと何人自分は得ることができるだろうか。親友とはある程度自分に近しい感性を持ち・・・・、変わり者を自負する自分には、難しい稀有の存在である。

 今、テレビのスイッチを入れたら君の姿が飛び込んできた。そうだね、君は家庭を大切にしてきた人間だったんだね。最後まで見習わなくてはならないね。そして、歌も歌うんだね。少し音程がはずれているのに。私は君ほど勇気がない。もっと勇気が必要だね。
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