2004年04月

101 「イラク邦人3名人質事件に思う」の記述に思う


 私は本コラム100回の節目に怒りに任せて下記コラムを書き、世論がまさしく私と同じ反応になっていたものだから、世論を先取りしたかの心地にて、正直な話、しばらくは有頂天になっていました。

 けれどもいざ、世論が小泉首相を持ち上げ、人質やその家族に対する社会的制裁を加えているのを見るにつけ、私自身は正しかったのか疑問を感じつつあるのです。

 今回は人質の家族が確かに「しくじり」ました。世論を味方にできなかった。けれども、もし人質の家族が「自衛隊撤退」や「小泉首相との面会」を言い出さず、じっとブラウン管の前で「救出してください」と涙の嘆願に終始していたら、世論はどのように反応しただろうか。

 つまり、じっと耐える家族の姿を国民は見て、
 「家族は健気(けなげ)だ→もし自衛隊派遣をしていなければ捕らえられなかった→自衛隊を撤退してはどうだろう」といふうに世論は形成されなかっただろうか。さらに最悪事態、つまり人質が殺されることにもなれば、
「小泉退陣」→次期首相候補は「自衛隊撤退」を公約に掲げて当選!ということにもなりかねなかったのでは。
 
 さらに極左的思想の持ち主が仲間をいけにえにこのシナリオを決行したとすれば、上記のような結末は考えられまいか、と思ったのである。そう考えると空恐ろしい。そんな世論は意図的にブラウン管で形成されるのではないかと考えたのです。

 さらに私は前回コラムではもうひとつたいへんな過ちを犯しています。

 『イラクのインフラ整備のためになぜ建設労働者ではなく、自衛隊を派遣するのかその意味が理解できないのだろうか。』
 
 などと私は書きました。つまり今回の自衛隊派遣は「危険地域におけるインフラ整備のための人道支援だ」と日本政府の立場をそのまま代弁したのです。

 しかし、実際はそうではない。今回の自衛隊派遣における政府の「人道支援」とは建前であり、言い逃れであって、実際は「米国の同盟国たる日本の軍隊がイラクにおける示威行為のために」派兵したのです。

 それはわかりきったことです。私はそのことに気づいていながら持論を進めるために不都合な上記の記述をしませんでした。

 しかも私は
 『(朝日新聞のような)メディアとそれに扇動された国民こそが、再び日本国を戦争に導くのではないかと危惧される。』

 とさえ書きました。それは不都合な事実を隠蔽し、都合の良い情報だけをつまみ食いして持論を展開する悪しきジャーナリズムを非難したものでしたが、結局は自分も同じことをやっていたのです。しかも何の制約もないこのようなコラムでそんな過ちを犯した自分が情けなくて仕方がないのです。
 
 私は知を信じ、智を信じる者であり、智を信じるからこそ国民の「知る権利」を唱えるものです。二度と戦争を起こさぬために、マスコミや政府に扇動されない「考える力をもった国民」を育成するために、社説を押し付けるのではなく、事実というものを、読者や視聴者が「考える素材としてありのままに」報道するジャーナリズム文化を期待しているのです。

 それなのに、ここに簡単に扇動されやすい自分がいるのです。ああ、情けない。

100 「イラク邦人3名人質事件に思う」


 イラク国境付近で日本人3名が拉致され人質となった。この事態は自衛隊をイラクへ派遣したときから予見されたものである。よって世の出来事を偶然と必然に分けるなら本件は必然に属すべきものである。今後同様の事件の再発を避けるために、本件に関し未解決ながら評価してみたい。

歴史認識
 日本の地方・中央政体はその時代に有効、あるいは合法とされたあらゆる手段を用いて家族、社会、国家のために近隣社会あるいは国家を略奪し続けた。その意味で日本も欧米列強と同様、武人社会、武人国家であった。その対外政策に基づき、富と技術を蓄積し続けた結果、現在の比較的豊かな日本が存在する。今回の自衛隊のイラク派遣は、国際社会の一員として、それをなし、日本国の存在感を示すことが国益に繋がると判断して行ったもので、概ね、戦前までの日本国家の対外政策に沿ったものである。

今回の事件の論点を整理し評価してみよう。

?誘拐グループの要求に基づく自衛隊撤退の是非
 自衛隊の撤退など論外である。日本は人道主義に基づきイラクのインフラ復興のために自衛隊を送っている。これに反対すべきは「イラク国民に対する反対勢力」であると断定できる。また民間人を人質にとるという卑劣な方法で、日本国の政策を変えることはできない。

?政府の対応の是非
 「自衛隊の撤退は考えていない」という政府の態度表明は当然のことである。非戦闘員かつ丸腰のジャーナリストや人道支援家を拉致し、人質にするという卑劣なテロリストと交渉の余地はない。彼らと交渉すれば今後同様の人質事件が多発するのは必定である。

?本人と家族の対応の是非
 これまでも他に非戦闘員や国連関係者などが標的になった事件はいくつか起こっている。当然本人らにはイラクの治安がかなり悪化しているという認識があったはずである。にも拘らず、彼らは単純平和主義者や報道の「イラクの人々が気の毒だ」とか「可哀想だ」という表層的感情論に揺り動かされて戦闘地域に出かけた。これは軽率な行動であり、自身が人質になった場合、国益を損なうのだという公共心はまるでなかった。
 家族の心痛ははかりしれないだろうがメディアに向かって「人命最優先の立場から自衛隊を撤退させてほしい」などと軽々しく訴えるべきではない。母親はともかくとして、父親や兄弟までがそれを言い出すと何が善で何が悪なのかわからなくなる。
 「わが子をイラクへ送り出したとき、その覚悟はできていました。卑劣な行為に対して日本国は絶対に屈しないでください」と家族のひとりでも表明すべきである。でなければ、ヒーローなりたがりの彼らを律するために、登山家の遭難時同様、彼ら家族にはその救出作戦に掛かる経費のすべてを請求しなければ、彼らやその家族はその行動の意味と過ちを理解できないだろう。

?今後の対策
 単純平和主義者やメディアの口車にのって、戦闘地域たるイラクへ軽々しく出かけるべきではない。イラクのインフラ整備のためになぜ建設労働者ではなく、自衛隊を派遣するのかその意味が理解できないのだろうか。日本国はイラクへの民間人の渡航を禁止すべきであるし、どうしても行きたい者には、警護の費用を負担させるとともに、万一の場合、救出費用のすべてを支払うという誓約書を父母の連帯保証のうえ、提出させるべきである。イラク復興には丸腰の彼らは迷惑なのだ。
 また、日本国は米国政府の対イラク政策を手放しで支持してはならない。米国と日本とは異なるのだということをイラクでもっと宣伝しなくてはならない。米国と中東諸国は報復合戦を行っている。そして今回のイラク戦争で米国はあまりにも多くのイラク人を殺し過ぎた。そして米国はその戦費、つまり投資を取り戻すためイラク新政体に最大の影響力を及ぼすためにイラク駐留を続けているのである。
 繰り返すが、米国はあまりにも自国の国益のために外国人を殺し過ぎた。第二次大戦後、国家政策として外国人をひとりとして殺したことのない日本国がそれに巻き込まれないためには、米国との距離と国策の違いを強調すべきである。

?日本の報道の是非
 本日付の読売・日経・朝日・産経・世界日報の社説を読み比べてみると読売新聞の社説が最も理路整然とし、客観性に満ちた内容の論説だった。世界日報の社説は概ね同意できるが米国追従型の日本国の対イラク政策をそのまま認める点が私には同意できなかった。朝日新聞の社説には大義というものがまるで感じられない。このようなメディアとそれに扇動された国民こそが、再び日本国を戦争に導くのではないかと危惧される。
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