2004年09月

142  「前例主義の意味」

 「私たちは明日USAへ発ちます。滞在中のお力添え深謝いたします。ではご多幸をお祈り申し上げます。」

 日本大使館の広報文化班、木宮憲市所長のデンバー転勤直前の英文のテキストメッセージを訳してみるとこんなところだろう。
 
 私も18年間、歴代所長らを部外から眺めてきたが、なかでも木宮氏は傑出したリーダーだったと思う。木宮氏の業績は多々あろうけれども、私たち日本人社会にとって最も大きな功績は日本大使館と邦人団体及びNGOとの間の橋渡しとなる「月例意見交換会」を始めたことである。

 毎月一回、大小あわせて約30ほどの団体が大使館に集い、名目的には次年度の日比友好祭の準備会ではあるが、実際は大使館と邦人団体の意見交換の場になっている。少なくとも私はその認識のもとに参加させていただいている。

 ここで官と民、お互いが何を考え、何をしようとしているのかがわかるので、双方にとって利益である。これまでこのような官民合同会議は、過去には日本大使館の呼びかけで不定期、散発的に開かれていただけだから、この定期会合のもつ意義は極めて大きい。

 とかく官のなす業には「前例主義」という壁が立ちはだかりがちだが、それには常に「何年来」という枕詞が付いて回る。つまりそれをさらにさかのぼれば、前例の一つや二つは大抵存在するはずであり、それが何百年前のことであろうと躊躇に及ばず。リーダーは自己の理性に照らして正しい、必要だ、と思ったことを決断し、果敢に実行すれば良いのだ。それが「人の道」に添うものならそこには必ず偉大な先人の足跡が深く刻まれているはずだ。それこそが本当の前例主義であり、保身のために近過去の事例を踏襲するだけの「無作為」とは明確に区別されるべきものだ。

 9月18日に次の赴任地米国コロラド州へ旅立っていった木宮氏ご一家にご多幸あれ。

141 「子ども」を標的に

 市民を標的にし、3000人もの命を奪った9.11事件から3年が経とうとしている。この事件を契機に米国人の心は怒りに震え、穏健な人々も復讐を誓わざるを得なくなり、結果としてイラク侵略戦争へ突入せざるを得なくなった。
 しかし、今月はじめに起こったロシア、北オセチヤ共和国で起こった中学校占拠事件の残酷さはさらに際立っている。
 ロシアではチェチェン独立を唱える武装勢力により、昨年の劇場占拠事件、今年では2度の旅客機爆破事件、駅前自爆事件など一般市民を標的にしたテロ事件が立て続けに起こっている。そして今回の中学校占拠事件・・・・。ブラウン管に映し出される殺されたたくさんの子どもたち。

 はじめから子供を標的にした卑劣な犯行。
 自分たちの子供が殺されたから他人の子供に報復するというのか。
 それでは自分たちの立場を正当化できないではないか。
 人間の尊厳、命の尊さ。
 3日間、飲まず食わずで1200人を狭い体育館に閉じ込めた。
 トイレにも行かせず排泄物を片付けさせもせず。
 親子を家畜以下の扱いをした。
 私は怒りを抑えきれない。これを看過すれば私は人間でいられない。
 周到に計画し、弾薬を早くから運び込み、始業式の学校を襲い、
 親子を人質にし、反抗するとすぐに撃ち殺し、家畜以下の扱いをし。
 起爆装置に足を乗せ、それを爆発させ、人々の命を無造作に奪う。
 死者は5百名余に上るだろう。その半分は子供たちだ。
 さらに許せないのは自ら仕掛けた爆弾を爆発させその混乱に乗じて自分たちは生き延びようとしたことだ。

 この事件を起こしたのはチェチェン独立運動のさなか他国から乗り込んできたイスラム原理主義という衣を被った外人テロリスト。わざわざ殺戮をするために外国からやってきた殺人集団。殺人の対象は自国民ではない。だから平気で殺すことができる。その国がどうなろうとへっちゃら。そうだ、チェチェンでは既に民主的選挙により、チェチェン人大統領が選出されている。にも拘わらずこんな事件を隣国で引き起こすことの意義は何だ。

 子供に罪があるはずがない。子供は親も社会も選べないのだ。誰にも子供を殺す権利はない。

 コーランは人殺しを説くものではないはずだ。なぜイスラムの宗教指導者たちはこの状況を看過するのか。なぜ世界のあらゆる宗教の指導者たちはこのような事態に際して知らん顔をし、ただただ子供を見殺しにするのだ。

 人類がこの程度の種族なら、滅びてしまえ。我々は畜生以下の存在であり、地球が生んだ最も忌まわしい生命体だ。地球環境を破壊し、自らを破壊する。このような種を維持保存することに一体どれほどの意義があるというのだ。

                         ◆◆◆

 今回の学校占拠事件はこれまでのテロとは明らかに異質のものだ。これまでのテロは例え市民を狙ったものであっても、子供に特定したものではなかった。おそらくテロの歴史の中でもこれがはじめてのことだろう。ではこれまでなぜテロリストたちはソフトターゲットたる子供を狙わなかったか。それはグループ内に子供を殺すことを躊躇する者が出てチームの和が乱れる。その残酷さがゆえに新たな仲間や支援者が募りにくくなるなどの理由によるものだろう。つまり子供を標的とすることは禁じ手だったのだ。それではなぜ今回テロリストたちはあえてこの禁じ手を使ったのだろう。

 おそらくテロリストの本当の意図はチェチェンの国家独立ではない。テロリストは9.11でもそうだった。市民3000人も殺し、キリスト社会の動転ぶりをビン・ラディン一味はせせら笑った。米国社会では怒りと復讐の念に燃える市民とそれを留めようとする市民との間に亀裂が入った。悲しみに慟哭する市民と運良く難を逃れて安全な位置にいる市民との間の論争と分断を誘った。

 おそらく今回も同様のことが起こるだろう。愛する子供を殺され復讐を誓う市民と彼らを護れなかった政府。秩序を重んじるロシア政府はチェチェン武装勢力に対して徹底弾圧の姿勢を貫こうとするであろう。その一方で、自分の親戚縁者に犠牲者のない市民や国際世論は表層的「平和主義」を唱えてその姿勢に対峙することだろう。この事件の首謀者が外人テロリストであるにも拘らず、ロシア政府はチェチェン独立派を赦すことはないだろう。もはや両者に和解はありえるはずもなく、血で血を洗う抗争がいつまでも続くのだ。

 つまり隣国同士が憎みあい、いがみ合い、殺しあう。国内世論も分裂分断し、社会が消耗し疲弊する。その状態が持続すること自体が目的なのだ。地上に地獄絵を実現することが彼らの狙いなのである。そしてイスラム原理主義を語るテロリストにとって、穏健派イスラム教徒もまた憎むべき敵であるのであって、アラーの前で護るべき人種ではない。彼らはエセ・イスラム教徒として鉄槌が振り下ろされるべき存在なのだ。

 ハムラビ法典の「目には目を」の復讐法とは、「一つの目には一つの目を(an eye for an eye)」という意味であって、これはエスカレートしがちな復讐合戦の拡大と無限連鎖を断とうとするものだった。今回のテロリストどもが目的としているのは憎しみと猜疑心、恐怖感の拡大増幅であり、彼らは「紛争の収束」や「和解」を図ろうなどとはハナから考えていない。そのように解釈すれば、彼らの一連のテロ活動すべてについて合点がいくのである。

 テロリストの狙いと傾向はわかった。ではそうしたテロルに対し、一体どうした対応をとるべきかを国家間で話し合うべきなのだ。

140  「タガイタイ駅伝」

 フィリピン通の皆さんはご存知だろうがマニラから南に1時間半で「タガイタイ」という風光明媚な保養地がある。タガイタイの尾根から望むタール火山の荘厳な風景は私の知人をして、「夜明けから日没までを眺めるとあたかも天地創造を見る思い」と言わしめた見事なもの。標高が高く、気温がマニラより6度近く低く凌ぎ易いので、バギオほど遠くない避暑地としてフィリピンの富裕層の多くがここで別荘を構える名所である。
 
 私はこの地に、邦人団体並びに日系企業をスポンサーとする駅伝を始めたいと思うのである。私はそのためにまずは日比ビジネスクラブが動かなくてはならないと考え、今月中にもタガイタイ市長に面会し、来年夏にでも第一回タガイタイ駅伝大会をやりたいと考えている。

 今日も日比ビジネスクラブの講演会の日である。2年前から毎月一回の講演会を欠かさず行ってきたが、その勤勉さがとりえであり、その積み重ねが財産だ。私はこの会のポテンシャルをよく知っているし、この会であれば恥ずかしくないいろいろなイベントがこれからたくさん主催できるはずだと信じている。
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