2004年10月

146  援助をするなら農山村の人々に

 かつてマニラ市トンド地区にスモーキーマウンテンと呼ばれるゴミの山があった。堆積した生ゴミからアンモニアが発生し、これが自然発火してあちこちから白煙が上がっていた。その上に掘っ立て小屋を建てて住みつき、ゴミ拾いで生計を建てている家族の姿があった。

 そのスモーキーマウンテンが10年ほど前に閉鎖され、「ケソン市パヤタス」がゴミ最終処分場として次の名所となった。ゴミ拾いに勤しむ幼な子らの姿は痛ましく、情にほだされた日本の民間団体や公的機関はかつてのスモーキーマウンテン同様、せっせと衣類、給食、奨学金を運び、校舎、職業訓練施設、診療所などさまざまな支援の手を差し伸べた。

 しかし、冷たいようだが私は不法居住者への支援に大反対である。

 実は一般のフィリピン人もそんな支援を快くは思っていない。まず、彼らのゴミ山の上に住もうという考え方、これはいいだろう。公共地への不法居住に問題はあるが、政府が黙認しているのなら我々の関知するところではない。誰にも居住の自由はある。しかし親たちにはそんな不衛生な場所に子どもを住まわせる権利はない。それは親権の乱用であり、子どもの人権を蹂躙する行為である。それは政府が許しても人道的に許されることではない。田舎の貧困から逃げ出してきた者たちは不法居住者としていつまでも公共地を占拠すべきではなく、すぐにも自分たちの地方に戻るべきであると考える。

 支援をする者がいるから彼らはそこに「快適に」住み続けることができる。従って、支援が彼らの不法居住の固定化をもたらしている。それは違法状態の維持拡大に手を貸していることであり、フィリピンの国益にも反することである。

 貧困者は大きく、都市貧困者、漁村貧困者、農山村貧困者に分けられるであろう。そのなかで最も豊かなのは都市貧困者であり、最も貧しいのは農山村貧困者である。けれども彼らの違いをいうと農山村貧困者は誇り高く、都市貧困者はみすぼらしい。

 私はどうせならぜひ農山村貧困者を支援してほしいと思う。自分の生まれた土地を離れず貧しくも善良に生きている人達にこそ支援の手を差し伸べるべきなのだ。そして、地方を離れなくても良いように、反対に都市に出てきた者が帰郷したくなるように、地方の経済を活性化し、雇用を促進させることに力を貸すべきなのだ。

 我ら日比ビジネスクラブでもわずか数人ながらフィリピンの子らに奨学金を支給している。田舎の生徒や学生を対象としていて、そのうち半分は農業大学の学生に学資支援をしている。人口増加の激しいフィリピンで今、最も力を入れるべきは農業である。

 援助団体はえてして近場で手軽に支援ができて、ニュースにも取り上げられやすい都市貧困者の支援に偏りがちだ。けれどもそれに甘んじてはせっかくの行為が報われない。フィリピンを思うならば人口の都市集中と地方の過疎化、農村の疲弊を食い止めるために、援助は人造のゴミ山に住む者に対してではなく自然の山に住む者に対して行いたい。

145 高濱医師ご逝去のニュース

マニラ日本人会から高濱一宏医師(フィリピンアカデミックネット管理者)死亡のニュースが飛び込んできたのは16日午後のことである。
 数日前にメーリングリストで日比友好祭実行委員会設立の起草原案の件で議論を戦わせたばかりであったから正直言って信じられないという気持ちが強かった。

 以下フィリピンメーリングリストへの私の投稿文である。

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10月16日

お通夜に行ってきました。
 夜12時になってようやくドンボスコ教会へご遺体が到着したので、私が12時半過ぎに行ったときにはフィリピン側のご親族だけでした。
 奥様によると、お亡くなりになったのは今朝10時半頃。すっかり動転していて正確な時間は憶えていない。これまで兆候がなかったわけではない。一ヶ月くらい前に高濱先生はしきりに胸が痛いと言っていた。奥様は医者へ行こうと言ったが多忙だし、大丈夫だからと聞き入れなかった。

 先週の木曜日、胸が苦しいからと職場から帰宅して、ベッドでうなっていた。この薬を買って来いと自ら処方するので、奥様がその薬を買ってきて飲ませた。まだ相当苦しいというのでMMC(マカティ・メディカルセンター)に連れて行った。レントゲンを撮ってみると心臓のあちこちが壊死している状態だったらしい。
 私は無知だがいわゆる「心筋梗塞」だったようである。
 それでそのまま緊急入院することになったが、意識はずっとはっきりしていたとのこと。医者は心臓のバイパス手術を勧めたが、手術して昏睡状態になるよりも子供と少しでも長く話をしたいと言って強く拒絶した。そのときに夫は自分の死期を悟っていたのだろうとのこと。
 普通、発作が起こって48時間持てば大丈夫とのことで今日の午後まで頑張れば、あとはOKのはずだった。
 今朝になって何か食べたいというので、お粥にしようかと相談したりしていたところ。そのうち突然血圧が下がったので、医師がたくさん来て心臓蘇生の処置を試みたが、そのまま帰らぬ人となった。

 毎晩、日本人とか障害者のためとか言って、遅くまでホームページの更新などしていた。家族にも人にもとっても優しい人だった。突然のことで一体どうすればよいかわからない。下の子供はまだ3歳に満たないのに・・。一ヶ月前に永住ビザがようやく取れたばかり、これからいろいろできるはずだった。

 奥様にとって高濱氏は英雄だった。

 高濱一宏さん、享年57歳。神様がお召しになるのは少し早過ぎるような気がする。
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10月17日

 高濱先生がお亡くなりになったのは10月16日の事である。

 私は高濱先生に10月6日に日本大使館の日比友好祭の意見交換会に出席した際にお会いした。
 そして、来年の日比友好祭を開催するのに実行委員会を設置するにあたって、その委員会の原案作りを特に私の方から高濱先生にお願いした。
 高濱先生はフリーであり、能力的にも最も原案起草者に相応しく、他に適任者はいないだろうと思ったからである。時間的にも誰よりも余裕があるとそのときには思っていた。
 二つ返事で引き受けてくれるだろうと思っていたのが若干躊躇しているご様子で、「ではやりましょう」との返事が遅かったのに意外な気がしていたのを憶えている。
 もしかするとその頃には私の知らない別の仕事で、相当疲労が蓄積していたのかもしれない。たまたま私の席からは彼は遠く、顔色まで窺うことはできず体調が悪いとは気づかなかった。

 高濱先生の原案が友好祭のメーリングリストに上がってきたのが11日。「民間主導型の友好祭の実現への提案」というタイトルがついていた。
 その首尾の良さに驚いたが、高濱原案があまりにも斬新的で、他の団体がそれに同意するとは思えない。廃案になると意見交換会がまた堂々巡りになる。そう感じた私は彼を推薦した責任もあって、その日のうちに私の別原案をネットに投稿。
 すると高濱先生は、すかさず翌日12日、13日と立て続けに私の案の中途半端さを指摘する内容のメールを投稿。
 私はそれに対して反論はしなかったが、実はその翌日14日には高濱先生は入院していたのである。
 大森氏も最近高濱先生があまりにも深酒が過ぎるので先生ちょっとおかしいですよと、警告を発していたところだったという。
 今にして思えば結果としてその原案作りに無理をしたのではないか、その疲労が発作の引き金になったのではないか。高濱先生を死地へ追い遣ったのは自分ではなかったか。
 棺桶に静かに横たわる高濱先生の横顔を見ながらそして時折嗚咽する奥様の姿を見て、済まないという気持ちで一杯になった。

 2年前にも知り合いがやはり心筋梗塞で亡くなった。
高濱先生と同様、死亡の1ヶ月前に最初の発作を経験している。しかし本人はそれが収まったので病院へ行くのを怠った。2回目の発作の時には気丈にも病院近くまで車を運転してそのまま病院で亡くなったという。
 心臓が痛くなったときには、必ず病院でX線写真の一枚でも撮っておくべきというのが教訓だ。

 高濱先生のご両親は健在とのことなので、特にこれが寿命であったとは思えない。やはりネットの皆さんの言うように「医者の不養生」という意見を甘受すべきなのだろう。

 奥様は言った。
 「なぜこんないい人がすぐ死ぬの。悪い人は長生きしているのに」

 同感である。

 私はいささか混乱している。今日もまたのこのこ教会へ行って高濱氏の奥様のご親族に野菜てんぷらなど差し入れてきた。こんな時、なぜてんぷらなのかわからない。
 でも私の名前入りの花輪を頼んでも、故人から無駄遣いするなと怒られそうだし、結局自分はただただ無力なのだ。
 でも高濱先生の死期を早めた一人として何かできることはないかと考えるのだが何も思いつかない。
 荼毘にふすのは19日(火)を予定しているそうだが、未定だ。そんなことで告別式が19日になるのかまだ流動的だ。
 私は高濱先生に世話になった人が大勢いるのでできれば新聞に告知広告を出して、告別式には皆が参列できるようにしてあげた方が良いのではと申し上げた。
 奥様も混乱していてわからない状況。それで高濱氏のご両親がマニラ入りするのは明日18日とのことゆえ、おそらくご両親の決定に従わざるをえないだろうとのこと。

 奥様によると、高濱先生は自分の死体は焼いて灰はフィリピンに葬ってくれというのが遺言だそうである。

 高濱先生が同じ状況下でもし日本で倒れたとすれば、彼は助かっただろうか。最後にそんな疑問が残った。

144 アロヨ大統領は「アブサヤフ」?

 マニラ新聞は唯一の邦字新聞として重宝している。部数的にみると日本ではミニコミ紙に当たるのかも知れないが邦人社会でこれほど流通しているメディアは他になく、当コラムで批判したことはあるが私の会社では過去9年ほど毎週一度は広告を掲載し、結構、活用させて頂いている大事なメディアである。

 そんなことでマニラ新聞の邦人社会への貢献度は計り知れず、何度表彰してもしたりないほど貴重な存在だが、一方で、あまりにも誤字・誤報が多過ぎる。特に第一面のケアレスミスだけは絶対何とかすべきだ。

 8月4日の「上院議員」を「上隠議員」と間違えてみたり・・・。決して上院議員が隠密行動ばかりとっているからと造語したのではあるまい。しかし、普通、一面トップの最初の大見出しを間違えるだろうか。

 10月12日のはさらにひど過ぎる。「大型客船火災はテロであった」という衝撃的な見出しに続いて116名も殺害したという凶悪犯人の写真が掲載されている。これだけを見ると新聞とは市民にとってなくてはならない貴重な情報源だと改めて思うのである。

 しかし写真の絵解きで「容疑者のアブサヤフは右の2名」というので見てみると制服警官と並んでアロヨ大統領が神妙な顔で立っているではないか。アロヨ大統領は実はアブサヤフだった!そうなら「大スクープ」なのだが、右と左の文字を間違えたのであって「大チョンボ」なのである。

 さすがに翌日ちっちゃな訂正記事が出たが、そんなことではいけない。一国の大統領をテロリスト呼ばわりするというミスは絶対にあってはならないミスだ。私には責任はないのだけれど、何か日本人社会全体がアロヨ大統領を誹謗しているようで申し訳なく思う。

 それにしても不思議なのはその新聞の印刷にGOサインが出る前に多くの有能な日本人が目を通しているはずである。にも拘らず一面トップの見出しなどでミスを犯すのはどういうことだろう。

 私が社主であればそのミスの責任者を減給その他の処分を下し、二度とこのようなミスがないように厳重注意するところだ。一字のミスにつき5000ペソ程度の罰金を科せばかなり効果が上がるに違いない。

 私自身は零細企業のオヤジに甘んじ、これ以上頑張らないことに決めたけれど、マニラ言論の旗頭たるマニラ新聞にはもっと頑張ってほしいのである。これは批判キャンペーンではない。エールを送っているのである。

 「マニラ新聞頑張れ!」

143 「がんばらないこと」

 NHKの「プロジェクトX」では異常なほどに頑張り屋である昭和一ケタ代が、自分自身はもとより家族をも犠牲にして華々しい功績を挙げる。頑張りにより最大限の「人間力」や潜在能力を引き出し常識を打ち破ってゆくのだ。あれを見て感動し、「よし、自分も頑張ろう」と奮起する人は多いに違いない。

 でも、世の中には肩の力を抜きリラックスして仕事をしている人もいる。彼らを見ていると、なるほど、肩の力を抜いたほうがうまくできる仕事だってあるのかなと思う。

 ところでフィリピンではどこを向いても頑張らない人ばかりだ。だから彼らは何の功も挙げられない。要するにリラックスした結果いい仕事をしているかというとそうではないのだ。ただ我が家の駄犬ラブラドールと同様、、リラックスしながら餌が降ってくるのを待つばかりで、いい仕事をしたいという意欲すら感じられない。

 頑張るということは同時にストレスを溜めることでもある。そのストレスこそが現状打開策や突破口を生み出す源泉になることもあろう。しかし、一方でそのストレスが自由な発想、発想の転換、独創性というものを阻害することもあるに違いない。
 
 そこで私は思うのである。せっかくフィリピンという怠惰を容認してくれる社会にいるのだから、いっそのこと頑張るのをやめてみてはどうであろう。小事に捉われないよう注意し、自分の心をある程度開放してみてはどうであろう。リラックスしながらそれなりに良い仕事ができるように工夫を凝らしてみてはどうだろうと考えるのである。

 頑張らないでリラックスしながら仕事をする。もしかすると総合的あるいは結果的にはこちらの方が実りある素晴らしい人生が送れるのではないかと思えるようになってきた。
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