2006年08月

171 住めば都

 職業柄、私は毎日のように初めての方と面談しますが、

 「フィリピンの暮らしはいかがですか」

と聞かれるときまって、

 「楽しいですよ。住めば都です。」

と答えています。さらに、

 「世には『住めば都』にできる人とできないひとがいます。私はどの国、どんな土地に行っても『住めば都』にする自信があります。但し、自爆テロのある国はダメです。命の守りようがありませんから」

とお話しし、それから女性が接客するフィリピンカラオケ店を引き合いに出して、

 「店に10人の女給がいて、7人が気に入らない女性。でも残り3人は気に入ったとしましょう。とにかく気にいった3人だけとつきあえば、その店をひいきにできるでしょう?『住めば都』も同様に、その土地の良い部分とつきあうことなのです。でも店に良い子が1、2名だけじゃダメです。だってその子たちが休んでいたり、やめっちゃったりしていると頭にきてその店に通えなくなるでしょう。とりあえずいい子は3名くらい必要ですよね。フィリピンはたくさん良い部分があります。だから皆さんもきっとつきあえますよ。」

と説明しています。

 実はフィリピンの良い部分を十くらい見つけると、悪い部分の二十や三十、すぐに見つかります。良い十の部分とつきあっていれば『住めば都』と言えるわけですが、えてして皆さん、悪い側面に遭遇してフィリピン嫌いになってしまうのです。

 さて、これを人間関係に応用すると、ある人と付き合うのに悪い部分にはできるだけ触れないように眼をつぶるようにして、その人の良い面だけとつきあえばよろしいということになります。

 もし「それは狭量だ」とおっしゃるあなた、では自分の許容範囲、つまり懐を広げる努力をしましょう。例えば煙草は嫌いだけれど、煙草を吸う人と同席ができるようにするとか、金を返さない人は嫌いだけれど我慢してつきあい続けるとか、自分の女をとられちゃったんだけど、そんなヒトデナシとも何事もなかったようにつきあうとか。どんなに妻や夫が嫌いになっても生涯、離婚しないで頑張るとか。

 えっ、できない?そうですか。できませんか。あなたも私同様、修行が足りませんね!でも大丈夫、『住めば都』理論はあなたにそこまでの度量を要求してはいません。好きな店、好きな人、好きな文化をできるだけ多く発見すること。そういう努力を惜しまないことです。そして、その部分とつきあえば誰にだって、どこだって『住めば都』になること請け合いです。

170 戦争被害者

 先日、「殺した殺された」など、戦争被害者の立場から多くの著書を書かれているで有名なルポライター、小説家の石田甚太郎氏(84)がマニラ新聞で講演された。

 講演後、石田氏は靖国神社へ参拝する小泉首相を「戦争被害者を逆なでする行為」と切り捨て、「日本の教科書からも従軍慰安婦など、戦争被害者についての記述がどんどん削除している」ことを憂いていると述べ、会場からも「私たちは戦争でこんなにたくさんの近隣諸国の人たちが殺されていることをもっと知らなくてはならない」という意見が挙がった。

 私は住民の3分の一が殺された沖縄の出身である。フィリピンでは集団虐殺事件の蛮行の他に「日本軍人肉食い事件」まで起きていることも知っている。自分は戦争についての知識は同年代ではある方だろう。けれども、戦争について知れば知るほど、考察を深めれば深めるほど、市民は皆よりよき時代を模索して戦い、そして死を遂げ、犠牲者であると同時に『貢献者』だったのだということがわかってくるのである。彼らがただの犠牲者でただの犬死と評すなら第二次大戦後60年余の戦争当事者国間の平和と安寧をどのように説明できるのだ。

 戦死によりDNAの連鎖が失われ、子孫が絶えてしまった人々のことを思いやると、彼らの尊い犠牲のもと生き残り平和を享受している我々が何をなすべきかということは自ずと知れてこよう。戦争に命を捧げた人々を祀るのは極めて当然の行為である。そして日本人戦没者の氏名を石碑に刻むなら、戦場になったアジアで犠牲になった何十万人もの人々の氏名を日本政府の事業として各地で石碑に刻むべきである。

169 敗戦記念日

  今日は「敗戦記念日」である。今やこの日を「終戦記念日」と呼んで違和感を感じない日本人ばかりなのだろうか。

 日本は国連への分担金、約19.9%を支払っている世界第一位の国である。本来は米国が25%と一位のはずだが支払う気がない。ロシアや英国もいつまでも滞納しているようだから国連を経済的に支えているのは日本である。にも拘わらず日本が常任理事国入りできない理由はどこにあるか。それは第二次大戦で「敗戦」したからだ。日本の国際的地位の低さは敗戦したからに他ならない。

 要するに現在の世界はいわば『戦後』(第二次大戦後)の姿のままなのである。現代とは歴史的には「第二次大戦勝者の理で動かされている時代」である。もし大戦敗戦国の国民がこの理をそのまま、そしてこのまま続けて受け入れるなら戦勝国にとって好都合である。しかし歪んだ国際関係を修正すべく、そして次の新たな国際的枠組みを求めて第三次大戦が勃発しかねない。

 今日小泉首相が靖国神社を参拝した。日本のマスコミはやれ中国が不快感を示している、やれ韓国との国交に支障がある、と騒ぎ立てるのだが、一体そういう君たちは本当に日本人なのか、平衡感覚はないのかと言いたくなる。

 A級戦犯?日本人の指導者だった人たちを、本当に連合国の主張するままにA級戦犯の一言で君たちは片付けられるのか。

 では、仮に日本が勝利していたら、広島と長崎に原爆を投下したトルーマン米国大統領、米空軍司令官は「人類に対する罪」としてA級戦犯になっていたとは思わないか。その彼らが米国の英雄墓地などに葬られていて歴代の大統領がそこに献花などをしたとき、私たち日本人は不快だ、やめるべきだと騒ぎ立てるべきだというのか。

 そんなことはない。某国にとっての敵もその国にとっては英雄である。そして時の指導者は民意や世論の後押しがなければ国民を戦争に駆り立てることはなかった。彼らは国益と信じて戦争を行ったのである。例えその意が果たせず戦勝国により戦犯の烙印を押されたからと言ってその国の国民や指導者がその人たちを弔うことに意義があろうはずがない。

 小泉首相が時の指導者として靖国神社を参拝し、戦争犠牲者、戦争時の指導者に対して哀悼の意をあらわすのは当然の行為である。

 戦争で多くの命が失われた。その人たちは子孫を残すことなく遺伝子を絶やした。その勇敢な人たち、不幸な人たちの礎のうえに、今の私たちの社会があるのではないか。死んでいった人たちを、ただ誤りだった、良くないことだったと批判するばかりなら、悪運強く、生き残り、彼らの屍のうえにぬくぬくと生きる輩はハイエナの子孫であるといわねばなるまい。

 私たちは第二次大戦の犠牲者を国籍を問わず、その功を讃え、そして哀悼の意を表し、彼らが築こうとした平和な社会、文化を築くことに尽力することが生き残った我々の使命であることを忘れてはならない。そのために今日の日を「敗戦記念日」と呼ぶべきなのだ。

 8月23日 追記: 小泉首相にとって日本の国連安保理入りが中国による反対工作によって阻まれたことへの恨みはあるだろう。私は当コラムでは筋論、本質論を展開したが、日本の安保理入りに当たってアジア諸国に影響力のある中国の取り込みが大事であることは誰の眼にも明らかである。次期首相は悲願の日本国国連安保理入りを最重要外交課題として、そのために何をすべきか、そして何をすべきでないのかをよく検討して行動してもらいたい。
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