2008年09月

214 永遠の結婚を保証するもの

 私はフィリピン人と2度結婚している。

 結婚の相手はどちらも敬虔なカトリックの家庭の娘だった。

 さて、フィリピンでは「市民法上の結婚」と「カトリック教義上の結婚」は別物だ。そして神父の前で結婚式を挙げない限り、本当の夫婦とはみなされず、挙式せずして同居はありえない。

 最初の妻はミンダナオ島のサンボアンガ市の出身だった。彼女と婚姻届をして、楽しく同居していると、届け出から半年後、結婚式に参列するためにマニラにやってた義父が、既に同居をしていることを初めて知り、苦虫を噛み殺したような顔で私を睨んだ。でもそのときは自民党的いわゆる既成事実の積み重ねが功を奏してそれを飲んでもらった。飛行機で1時間という田舎との距離が両親の宗教的倫理の押し付けを阻んだのである。
 
 二度目の妻はやはりマニラから遠いネグロス島バコロッド市の出身だった。けれども前回とは異なり、彼女の家庭は彼女が中学を卒業した頃、一家全員でマニラに移住してきていて、彼女も含め兄弟姉妹ほとんどがマニラで大学を卒業していた。

 その彼女と結婚入籍をしようとすると彼女の兄と姉が私の前に立ちはだかった。まず彼らはフィリピンの法律では離婚が許されていない。ゆえに妹との結婚は法的に無理のはずというフィリピン法律論を展開した。私は、「大丈夫。必ず離婚してみせる」と言い切り、そしてそれから1カ月余りで、見事に日本の役所で離婚届をして、ほれみろとばかりに彼女と結婚、入籍をした。

 さて彼女の家は遠かった。マカティから往復3時間。これでは身も車も、財布ももたない。最速で婚姻届をしたのはその距離を解消するためでもあった。

 けれども彼女の兄と姉が私の前にまたしても立ちはだかった。「入籍したからといって同居は許さない。妹は結婚生活の準備ができていないし、私たちは君のことをよく知らない。何よりもまだ結婚式を挙げていないではないか。神の前で婚姻を誓わぬ限り、同居はさせられない」というのである。
 
 兄にとって私の妻は大のお気に入り。彼はその頃私より若い32才。独身ではあったが大企業の部長を勤め、アロヨ大統領と同じ月額5万ペソを得る秀才だ。

 姉はそのとき30才。独身で男もいなかったが大学を総代で卒業し、公認会計士試験に一発合格をしたさらに秀才。どちらも強敵である。

 その秀才二人を相手に私は英語のディベートを強いられた。未婚の若造どもが「ちょこざいな」と思っていた。私は主張した。

 「君たちは結婚式がすべてのように言っているが、僕もかつて永遠の愛を祈願してサンアグズチン教会という16世紀に建立された由緒ある教会で結婚式を挙げたがその結婚は16年で潰えた。つまり教会における結婚式は永遠の結婚を保証するものではない。結婚生活を支えるのは愛であって式ではない」

 大学を総代で出た姉とやはり優秀な成績で卒業した兄を相手に私は持論をぶちあげた。

 総代の姉がぽろっと云った。

 「ミスターヤラの云う通りね。結婚式は永遠の結婚生活を保証するものではないわ」

 この言葉を最後に秀才コンビの磐石の布陣は崩壊し、その議論の一部始終を聞いていて敗北を悟った義母が立ち上がり、不機嫌そうな顔で玄関を出て日傘を広げ教会へ向かった。その光景は今でも私の眼に焼き付いている。

 私は心中「やった!」と叫んで、彼ら気持ちが変わらぬうちにと大急ぎで妻を車に乗せ、アクセルを一杯に踏んで最速でマカティへと走り去ったのであった。インテリはインテリゆえに理の前にもろいものだ。

 ん?さて私は一体何を論議しているのだろう。

 そうそう、要するにだ。私が言いたいのはフィリピン人と結婚をするということはそういうことだということだ。

 おいおい、それはどういうことだといいたいのだ。 


213 インターネットっ子

 昔、テレビっ子という言葉があってテレビ好きの子供を指していたようだが今ならさだめし「インターネットっ子」とも呼ばれるような一日中、インターネットに噛り付いている子供や大人が大勢いるに違いない。

 通信の高速化とコンピュータの大容量化により、ネット上のデータベースが盛んにアップデートされ、情報だけでなく娯楽の世界でも音楽、テレビドラマ、アニメなどが大量にネットに流れている。これは個人、過去にはオタクと呼ばれた人たちが趣味で録り溜めたものがアップロードされているようである。つまり「過去娯楽のデータベース化」が無数の個人の手でボランティアにより、ものすごい速度で進められているのである。

 私はネットで音楽やアニメを良く見ているが、最近は過去のNHKの大河ドラマにはまっている。

 小学生の頃、夜中までよく布団の中で小説を読んでいた。親は夜更かしはいけないと言って、夜半、子供部屋から光が漏れていると無理矢理寝かしつける。けれども小説には筋立てがある。最後まで読み切りたい。最後の頁に辿りつかない限り、興奮は収まらない。だから布団をかぶって電気スタンドを入れ、光が漏れないようにして本を読むのである。案の定、それでド近眼になった。

 ネットで連続ドラマを見るのはそれに似ている。毎週一回の放映を待つ必要はない。日曜日など一日で10時間、15時間と連続ドラマを見ていく。見逃した放映も含めてすべて、自分が見たい時間に、見たいだけ見ることができる。こんなことをするには、過去には配信会社が出したビデオを高額で買い求めるしか手がなかった。それが今やインターネットの月額受信料を支払うだけでそれが全部見れるのである。
 
 インターネットは自分が最も活用しているメディアである。ここから情報だけでなく、娯楽、データベースまで取り入れることができる。さらにこちらから書き込みもできる双方向のまさに最高のメディアである。私などはそれを早くから活用していてホームページは2000年から、このコラムは2001年からネットに書き込んでいる。

 昔は良かったと呟く人もいるが、私はインターネットのあるこの時代に生きていて良かったと思う。


 

212 3ヶ月坊主のススメ

 3日坊主という言葉があるが、私はいつも3ヶ月坊主である。要するに物事を決めると3日以上は続くが3ヶ月くらいでへたばるということである。

 毎日ゴルフも3ヶ月だったし、一生ジョギングは多少長かったがやはり6ヶ月でへばった。初めての痛風におののいての禁酒は1年は頑張った。

 でも3日坊主では何もなしえないが、3ヶ月坊主はある水準の何かを達成することができる。

 ゴルフではCクラスのクラブチャンピオンになったし、ジョギングでは風邪を引かなくなった。禁酒の1年には自己管理のできる自分に酔いしれた。

 継続は力なりである。物事は最低3ヶ月は続けよう。

 ということで、売り物件メルマガを毎日更新すると決めて今日で10日目である。あと80日で3ヶ月。しかし道のりは遠くゴールははるか彼方にある。
 

211 リーマンブラザーズ倒産

 世界経済はサブプライムローンの焦げ付きから数日前には大手証券会社リーマンブラザーズの倒産へと発展し、同社の日本法人の負債は約4兆円とされているが、米国本体の負債額は一体いかほどなのか数字が出てこない。

 さらに保険大手のAIGも危ないなど、いまや世界中の人々が金融危機か、ついには世界大恐慌かと慌てふためき、戦々恐々としている。

 しかしである。

 フィリピンでは株価こそ下落しているものの、不動産の価格が下がるわけでなし、銀行で取り付け騒ぎが始まるわけでなし、いたって平静である。

 思い起こせば96年のアジア通貨危機のときもそうだった。そのときはタイなど発展途上国はもとより韓国までがすったんばったんしていたのに、フィリピン経済は思ったほどの打撃を被らず、政府などは対岸の火とばかりに「アジア通貨危機の被害は最小限。わが国経済のファンダメンタルズは健全そのものである」などとうそぶいていたものだ。

 ところが、それから数年かけて、フィリピン経済はじわりじわりと沈下し、他国が必死の努力の末、立ち直りをみせるなか、そのまま低空飛行を続け、12年経った今でも96年の水準には戻っていないという見方もある。

 経済変化に迅速に反応しない。

 不動産を扱う商売をしている私にはフィリピン人のこの鈍感が気になるのである。

  

210 北京オリンピックメダルなし

 フィリピンは8月24日に閉幕した北京オリンピックに15人の選手を送り込んだ。そして、シドニー、アテネに続く3大会連続メダルゼロの快挙を成し遂げた。

 北京には私の友人でフィリピン退職庁長官であるアグリパイ氏もフィリピンオリンピック強化委員会の理事として乗り込んでいった。私は開催中のある日、彼の得意種目「バドミントンでぜひ金メダルを」とテキストメッセージを送ったが「サンキュー」と一語の返事が返ってきただけだった。それもそのはず。その時点では既に全種目で予選敗退していて、彼も「大会関係者」から既にただの「観客」になっていたに違いない。痛々しい限りである。

 フィリピン政府はオリンピックを国威高揚のチャンスとは見ていないのだ。

 その前に一体スポーツがフィリピンではどのような位置づけになっているのだろうか。

 今回も日本はメダル獲得数で韓国にも及ばなかったが、日本には「スポ根マンガ」つまり、「スポーツ根性もののマンガ」というジャンルがあって、『巨人の星』、『明日のジョー』、『アタックNo1』など数限りないスポーツ漫画が量産されている。スポーツを愛し、努力を奨励する国民なのだ。

 フィリピンではどうだろう。チャンネルを回してみるとフィリピンのテレビでは、ニュースのほかは、どの時間も我々には退屈で意味のない「愛憎ドラマ」「ホームドラマ」ばかりで「スポ根もの」はマンガも放映されていない。

 私が思うに、フィリピン人は「シンデレラストーリー」、または「マイフェアレディー」のように、ある日突然お姫様になる、ある日、目がさめたら大金持ちになっているというのが夢であって、汗水たらして、努力を重ねた結果、栄冠を獲得するのは美徳ではないのではないか。

 自分の会社の社員を見ていても、彼らは自分の能力を最大活用するとか、才能を開花させるとか、そのための努力をしている様子は一向に見られない。それどころか、休みも多ければ遅刻も多い。彼らの姿はただ「毎日をやり過ごしているだけ」としか思えないのである。その一時が万事である。

 才能だけでは金メダルはとれない。無二の才能を磨きぬいてはじめてメダルが獲得できる。

 ああ一体、私が生きている間にフィリピン人がオリンピックで金メダルを取る日は来るのだろうか。不動産業を営む私には、不動産バブルがやってくる確率の方がはるかに高そうな気がすると言ったらフィリピン人に失礼だろうか。

 
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