2009年3月8日の報道に、茨城県で工員男性の殺人死体遺棄で起訴されている無職高久政子(29)という女性が、自分の産んだ乳児2名を「自分では育てられない」として遺体を山中及び市内空き地に埋めたと供述しているという報道があった。
生命を尊ぶという最も基本的な倫理教育すら両親、学校、社会から施されていない。何よりも子育てという極めて原始的な母性本能すら麻痺しているという彼女の心のありかたに衝撃をおぼえる。
日本では昔から経済的理由で「間引き」という風習が各地にあって、間引きした子への母の思いが「こけし=子消し」を生んだという。
貧しい日本ではやむなき間引きが認められていたが、母の我が子への愛情は深く、嬰児を殺した罪の意識は深かったはずなのだ。
カトリック信仰の浸透していて、自殺者のほとんどいないフィリピンでは到底考えにくいこの種の事件が日本で多発していることに危惧を感じる。
生命を尊ぶという最も基本的な倫理教育すら両親、学校、社会から施されていない。何よりも子育てという極めて原始的な母性本能すら麻痺しているという彼女の心のありかたに衝撃をおぼえる。
日本では昔から経済的理由で「間引き」という風習が各地にあって、間引きした子への母の思いが「こけし=子消し」を生んだという。
貧しい日本ではやむなき間引きが認められていたが、母の我が子への愛情は深く、嬰児を殺した罪の意識は深かったはずなのだ。
カトリック信仰の浸透していて、自殺者のほとんどいないフィリピンでは到底考えにくいこの種の事件が日本で多発していることに危惧を感じる。