世界

339 子どもが幸せでない国ナンバーワン

お隣りの韓国は人口は日本の38%に過ぎないのに年間自殺者は日本と同じ約3万人である。その統計を裏付けるがごとく別の統計「子供と青少年が感じる主観的幸福指数」では、韓国はOECD加盟国中(3年連続で)最下位だった。

5月6日付の韓国速報は「子供が幸せでない国」と題する社説を掲載し、「(韓国の幸福指数は)同じアジア圏の日本、中国に比べても非常に低調であり、夢と希望で光っていなければならない童心が、世界底辺水準の暗さとは心配だ。」と嘆いた。

また「(子供たちは)幼いころから過剰競争に押されて、寂しい生活を送っているのであり、同じ年頃に対しては、人情を感じるより、競争相手とだけ認識するわい曲された雰囲気まで生じた。「一流病」が産んだ弊害だ。」とも論じている。

競争相手を「敵」、弱者を「敗北者」としか見なせないねじれた韓国の若者の感情は、世界に進出している韓国人が活躍すればするほど、評判が悪く...なるという傾向と重なるものがある。

その良し悪しは別にして、今後の韓国の経済の見通しについて、私は、韓国の生活水準が向上するにつれて、これまで犠牲にしてきた「精神的豊かさ」を求める若者が急増し、一挙に経済発展は鈍化・減速へ向かうはず、とみている。そしてそれはかなり近い将来のことであり、早ければ5年以内ではないかと考えている。

そして、今日の韓国の破竹の勢いは、以後の歴史家により「韓国の三日天下」などと評されるのだろう。

何ごとも無理や行き過ぎはいけない。プロジェクトXの主人公は100万人に一人くらいで十分だ。

338 男子は女子に学べ

 ドイツの有力紙「ウェルト」の7月14日の社説「男子は女子に学べ」は興味深い。

 そのなかで、ドイツ社会では製造業よりもサービス業が多くなり、サービス業には女性の方が向いているのもその要因のひとつだという。

 日本に置き換えてみると、男子の「草食系化」はサービス業の比重が圧倒的に高い近年日本社会のニーズに適っているからと云えるわけだ。

 結論すると、肉食系男子より「創造力とコミュニケーション力に優れ、行動に柔軟性のある」女性に類似する草食系男子の方が進化した形態だということで、ちょっと複雑な気持ち。
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男子は女子に学べ

 2日の本紙に、男子の学校での成績が女子に追い抜かれた、との記事が出た。根本的な原因として、学校が女性に握られていることが挙げられた。確かに、2010年の集計では、教師は2対1の割で女性が多い。このため、「女子に比べ、男子の扱いが悪い」と記事を書いた記者(女性...)は言うが、筆者(男性)の場合は、男性の教師が多い学校で学んだのに、女子の成績の方が良かった。 

 思春期にある11~15歳の男子は授業で、女子よりも我慢ができにくい面がある。女子の方が肉体的、精神的に男子よりも見たところ、変化にうまく適応している。男子は反抗的で、教師にも同級生にも不必要なほど歯向かっている。その結果、学校をおざなりにする。  

 男子は、宿題はサボり、言葉を覚えようとしない。命を賭けたように、電子機器に凝る。女子は知識欲があり、他人との意思疎通にも努める。意欲があるので、成績も上がる。学校が女子を優遇するのは、彼女らの努力の成果である。 

 女子にも思春期だけに神経がいら立つことはある。融通が利かず、移り気で、小生意気な点はあるが、口が閉じるヒマがないほど、意思疎通を図ろうとする。 

 7~10年生(日本の中1~高1に相当)の男子は、スポーツに熱心で、なかばプロのように練習に明け暮れている者もいる。女子は演劇グループをつくり、彫刻に励み、合唱団やオーケストラに入る。 

 スポーツは健康や性格づくりに必要である。しかし、創造力を養うには芸術の方が重要だ。女子の成績が良い別の背景である。バカげた暗記は昔の勉強のやり方で、今は創造的な授業が大事である。そこでも女子の成績が良い。 

 女子に比べ、学校や社会で男子が劣ってきたのは社会の動きとも関係がある。サービス部門の比重が1970年の48%から2009年には73%へと高まり、生産部門との逆転現象が生じている。テレビのコマーシャルを見ても、雄弁にお客に呼び掛けるのは、若い、元気に満ちた女性である。現代的なサービス社会で、仕事への要求は一段と女性化してきた。 

 学校もこの何年か、意思疎通の能力や問題解決に向けた創造力を大事にし始めた。ところが、男子は今も男性らしさを強く打ち出すことに縛られ、「ソフト・スキル」への適応を難しくしている。 

 米国でも適応力の強い女性の役員が多い企業は、男性ばかりの企業に比べ、倒産が少ない、との統計がある。サービス文化への社会の動きはもはや逆転できない。女性の参加を得て、男性らしさを生かすしかない。若い男性はより女性的にならなければ、成功はおぼつかない。男子は女子に学ぶべきである。

170 戦争被害者

 先日、「殺した殺された」など、戦争被害者の立場から多くの著書を書かれているで有名なルポライター、小説家の石田甚太郎氏(84)がマニラ新聞で講演された。

 講演後、石田氏は靖国神社へ参拝する小泉首相を「戦争被害者を逆なでする行為」と切り捨て、「日本の教科書からも従軍慰安婦など、戦争被害者についての記述がどんどん削除している」ことを憂いていると述べ、会場からも「私たちは戦争でこんなにたくさんの近隣諸国の人たちが殺されていることをもっと知らなくてはならない」という意見が挙がった。

 私は住民の3分の一が殺された沖縄の出身である。フィリピンでは集団虐殺事件の蛮行の他に「日本軍人肉食い事件」まで起きていることも知っている。自分は戦争についての知識は同年代ではある方だろう。けれども、戦争について知れば知るほど、考察を深めれば深めるほど、市民は皆よりよき時代を模索して戦い、そして死を遂げ、犠牲者であると同時に『貢献者』だったのだということがわかってくるのである。彼らがただの犠牲者でただの犬死と評すなら第二次大戦後60年余の戦争当事者国間の平和と安寧をどのように説明できるのだ。

 戦死によりDNAの連鎖が失われ、子孫が絶えてしまった人々のことを思いやると、彼らの尊い犠牲のもと生き残り平和を享受している我々が何をなすべきかということは自ずと知れてこよう。戦争に命を捧げた人々を祀るのは極めて当然の行為である。そして日本人戦没者の氏名を石碑に刻むなら、戦場になったアジアで犠牲になった何十万人もの人々の氏名を日本政府の事業として各地で石碑に刻むべきである。

160 わが亡き後に洪水は来たれ


 今ワシントンではG7が開かれており、米国などは日本やドイツに対し性懲りもなく景気高揚策の実施を求めている。人類が築き上げてきた遺産は何も物質文明だけではあるまい。真善美に代表される文化に対して一体、経済成長というものにどれほどの価値があるのだ。
 
 私が大学時代に出合った「わが亡き後に洪水は来たれ」という言葉は、産業革命以降わずか数百年で主な化石燃料を採り尽くして反省なく、地球を汚染し搾取して子孫に何も遺そうとしない資本主義経済の営みそのものを表している。 

 最近、日本のいろいろな新興宗教団体がフィリピンに入りつつあるが、彼らの多くもまた化学物質に神性を帯びているはずの人間が汚染されないためにと有機無農薬作物の栽培をしきりに提唱している。物質文明に対する人類のあまりの偏重に不安をかきたてられた人たちの集団である。

 人類は人口爆発という異常繁殖により自らはもとより他の全ての生物の生存を脅かしている。日本人の美徳とは本来、よく働き、少なく食べ、よく汗を流し、よく笑い、病気にならないように健全な生活をすることではなかっただろうか。欧米先進国の浅薄極まりない使い捨て文化の布教を神妙な顔で聴いている年配の経済担当官や政治家諸氏の姿をテレビで見るたびに彼らの危機感のなさにめまいを感じる。

141 「子ども」を標的に

 市民を標的にし、3000人もの命を奪った9.11事件から3年が経とうとしている。この事件を契機に米国人の心は怒りに震え、穏健な人々も復讐を誓わざるを得なくなり、結果としてイラク侵略戦争へ突入せざるを得なくなった。
 しかし、今月はじめに起こったロシア、北オセチヤ共和国で起こった中学校占拠事件の残酷さはさらに際立っている。
 ロシアではチェチェン独立を唱える武装勢力により、昨年の劇場占拠事件、今年では2度の旅客機爆破事件、駅前自爆事件など一般市民を標的にしたテロ事件が立て続けに起こっている。そして今回の中学校占拠事件・・・・。ブラウン管に映し出される殺されたたくさんの子どもたち。

 はじめから子供を標的にした卑劣な犯行。
 自分たちの子供が殺されたから他人の子供に報復するというのか。
 それでは自分たちの立場を正当化できないではないか。
 人間の尊厳、命の尊さ。
 3日間、飲まず食わずで1200人を狭い体育館に閉じ込めた。
 トイレにも行かせず排泄物を片付けさせもせず。
 親子を家畜以下の扱いをした。
 私は怒りを抑えきれない。これを看過すれば私は人間でいられない。
 周到に計画し、弾薬を早くから運び込み、始業式の学校を襲い、
 親子を人質にし、反抗するとすぐに撃ち殺し、家畜以下の扱いをし。
 起爆装置に足を乗せ、それを爆発させ、人々の命を無造作に奪う。
 死者は5百名余に上るだろう。その半分は子供たちだ。
 さらに許せないのは自ら仕掛けた爆弾を爆発させその混乱に乗じて自分たちは生き延びようとしたことだ。

 この事件を起こしたのはチェチェン独立運動のさなか他国から乗り込んできたイスラム原理主義という衣を被った外人テロリスト。わざわざ殺戮をするために外国からやってきた殺人集団。殺人の対象は自国民ではない。だから平気で殺すことができる。その国がどうなろうとへっちゃら。そうだ、チェチェンでは既に民主的選挙により、チェチェン人大統領が選出されている。にも拘わらずこんな事件を隣国で引き起こすことの意義は何だ。

 子供に罪があるはずがない。子供は親も社会も選べないのだ。誰にも子供を殺す権利はない。

 コーランは人殺しを説くものではないはずだ。なぜイスラムの宗教指導者たちはこの状況を看過するのか。なぜ世界のあらゆる宗教の指導者たちはこのような事態に際して知らん顔をし、ただただ子供を見殺しにするのだ。

 人類がこの程度の種族なら、滅びてしまえ。我々は畜生以下の存在であり、地球が生んだ最も忌まわしい生命体だ。地球環境を破壊し、自らを破壊する。このような種を維持保存することに一体どれほどの意義があるというのだ。

                         ◆◆◆

 今回の学校占拠事件はこれまでのテロとは明らかに異質のものだ。これまでのテロは例え市民を狙ったものであっても、子供に特定したものではなかった。おそらくテロの歴史の中でもこれがはじめてのことだろう。ではこれまでなぜテロリストたちはソフトターゲットたる子供を狙わなかったか。それはグループ内に子供を殺すことを躊躇する者が出てチームの和が乱れる。その残酷さがゆえに新たな仲間や支援者が募りにくくなるなどの理由によるものだろう。つまり子供を標的とすることは禁じ手だったのだ。それではなぜ今回テロリストたちはあえてこの禁じ手を使ったのだろう。

 おそらくテロリストの本当の意図はチェチェンの国家独立ではない。テロリストは9.11でもそうだった。市民3000人も殺し、キリスト社会の動転ぶりをビン・ラディン一味はせせら笑った。米国社会では怒りと復讐の念に燃える市民とそれを留めようとする市民との間に亀裂が入った。悲しみに慟哭する市民と運良く難を逃れて安全な位置にいる市民との間の論争と分断を誘った。

 おそらく今回も同様のことが起こるだろう。愛する子供を殺され復讐を誓う市民と彼らを護れなかった政府。秩序を重んじるロシア政府はチェチェン武装勢力に対して徹底弾圧の姿勢を貫こうとするであろう。その一方で、自分の親戚縁者に犠牲者のない市民や国際世論は表層的「平和主義」を唱えてその姿勢に対峙することだろう。この事件の首謀者が外人テロリストであるにも拘らず、ロシア政府はチェチェン独立派を赦すことはないだろう。もはや両者に和解はありえるはずもなく、血で血を洗う抗争がいつまでも続くのだ。

 つまり隣国同士が憎みあい、いがみ合い、殺しあう。国内世論も分裂分断し、社会が消耗し疲弊する。その状態が持続すること自体が目的なのだ。地上に地獄絵を実現することが彼らの狙いなのである。そしてイスラム原理主義を語るテロリストにとって、穏健派イスラム教徒もまた憎むべき敵であるのであって、アラーの前で護るべき人種ではない。彼らはエセ・イスラム教徒として鉄槌が振り下ろされるべき存在なのだ。

 ハムラビ法典の「目には目を」の復讐法とは、「一つの目には一つの目を(an eye for an eye)」という意味であって、これはエスカレートしがちな復讐合戦の拡大と無限連鎖を断とうとするものだった。今回のテロリストどもが目的としているのは憎しみと猜疑心、恐怖感の拡大増幅であり、彼らは「紛争の収束」や「和解」を図ろうなどとはハナから考えていない。そのように解釈すれば、彼らの一連のテロ活動すべてについて合点がいくのである。

 テロリストの狙いと傾向はわかった。ではそうしたテロルに対し、一体どうした対応をとるべきかを国家間で話し合うべきなのだ。
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