2001年01月

15 死ぬまで毎日ランニング


  2年前のある日、突然、「死ぬまで毎日ランニング」という突拍子もない計画を思いついた。当時は毎月のように東京とマニラ間を往復していたが、思いつきを実行するため、東京用に1足、マニラ用に2足、真新しい運動靴を3足揃えた。東京では新宿御苑1周コース、マニラではマニラ湾に面するフィリピン文化センターを走った。毎日約3km。雨の日も風の日も休むことなく走った。1年間、さぼったのは5日間だけとはまあ立派なものだったが、結局その約1年間で挫折した。

 挫折の理由は、車に纏わる諸問題に嫌気がさしたためである。マニラでは、自宅周辺には、安全で、排気ガスを苦にせず、ランニングができるところはなかった。近所で走れば、車にはねられるか、排気ガスで肺をやられて文字通り死ぬまで毎日ランニングとなり、葬式であいつはやっぱり馬鹿だったと友人に笑われるのは見えていた。そこで、面倒ではあったが、車で20分離れたフィリピン文化センター(PCC)へ通っていた。週に1日、渋滞緩和策である自動車の使用禁止規制日(私の車は火曜日禁止)には朝7時以降、夜7時まで車の使用が出来ないため、禁止日に朝寝坊するとランニング時間が十分にとれなかった。また車の故障やパンクなどにより出発ができなかったり、目的地に辿り着かなかったりで嫌気がさした。結局、未だランニングを続ける環境にあらずと諦めたのである。

 今度は安全な住宅地に越してきたので、自宅前を起点に広い住宅地内を、存分にランニングできるという最適の環境が整った。

 5時に起床し、2年前に購入した運動靴のうち黒い方の靴紐をぎゅっと結びなおして、いざ初日の今日は、とりあえず約30分、景色を楽しみながら軽く走った。私のランニングは、「スピードランニングに最後100メートルをエイトマンのようにダッシュ」というコザ高校卓球部時代に確立したストロングスタイルであるが、しばらくは慣らしでのんびり走ろうと考えている。以前ほどの気合もなく、気負いもないのは継続するうえでかなり不安ではある。ところで「エイトマン」は最近マニラのケーブルテレビで英語吹き替え版が放送されていて、いたく感激したが、それはランニング再開の直接の動機ではない。

 一度は挫折した「死ぬまで毎日ランニング」。今度はいつまで続けられるだろうか。


 お答えします。今回は半年で挫折しました。

14 退職後を海外で


 報道では「退職後を海外で」という日本人が増加しているという。当社では関連会社『日本退職者協会』で特別退職者居住ビザ(SRRV、永住ビザの一種)を扱っているのだが、確かに週に一件は、その問い合わせを受ける。最近では定年退職を数年後に控えて海外移住の情報収集をされている方が多い。フィリピンに数年間駐在された方で、この国に惚れ込んで永住を真剣にお考えという方からの問い合わせも少なくない。ほとんど仕事に明け暮れた半生を経、定年後はいろいろな意味でこれまでと違った豊かな生活を、と第2の人生に夢を馳せる。宮仕え中にはできなかった語学教室、社交ダンス、ボランティア活動。定年後の夢は人それぞれである。だが、日本の物価と社会構造のなかでは、実現し難い。そこで、諸物価、人件費が安いうえに、日本に程近く、永住ビザが容易に取得可能なフィリピンに、皆さんの人気が集まりつつある。

 さて、3年前に私を通して退職者ビザを取得されたSさんというご夫婦がいらっしゃる。ご夫婦は当社の仲介で購入されたカビテ州のプール付一戸建(土地は50年間の定期借地権)にお住まいになって、至近5ヶ所からのカントリークラブで文字通りゴルフ三昧の日々をお過ごしであった。翌年、そのSさんから電話があり、好きなゴルフや田舎暮らしもいよいよ飽きたので、居宅を売却し、今度は都心に住みたいとおっしゃる。そこで私はSさんの田舎のご自宅を別の日本人へ売却し、マカティ市中心街の小奇麗なマンション購入を仲介して差し上げた。

 現在では一転して毎日、マカティ中のレストランの食べ歩きをお楽しみである。時々息子さんご夫婦も訪比される。Sさんご夫婦によると割と贅沢に生活していてもペソと米ドル預金利息を遣い切れなくて、残金を半年に一度の帰国渡航費に充てているとのこと。年金には一切手をつけず貯金は積もるばかりとのことで、誠に羨ましい限りである。特に日本が寒い今のような時期には温かいフィリピンが一番、とご夫婦でにっこり。Sさんは、ゼロ金利の日本では到底成り立たない老後の必勝パターン(完全設計)をフィリピンに見出したのである。
 あなたも一度『ニッポン脱出計画』を練ってみてはいかがでしょうか。

13 我が故郷の1000人あたりの離婚件数


  我が生れ故郷沖縄県沖縄市(旧コザ市)は、北海道苫小牧市(3、37人)、大阪府門真市(3、24人)に続いて、堂々3位(3、22人)です。何の数字か分かりますか。日経ネット『ザ・ランキング』における『1000人当りの離婚件数』です。ちなみに沖縄県の市町村は49位以内に9件も入賞しており、全国トップかと思いきや、北海道の10市町村には惜しくもかなわず次点でした。

 なぜ北海道は離婚が多いのか。ある道産子によると極寒ゆえ温もりを求めて節操なく寄り添った結果、別れも早いとのこと。ウチナーンチュ(沖縄人)の場合、くっついたものの暑苦しさのゆえ別れてしまうのでしょうか。ではエアコンの普及により数字は改善されるのでしょうか。

 ところで沖縄より暑いフィリピン人の離婚率はどうなっているのでしょう。カトリックでは離婚は基本的に許されていないのですが、別居などにより実質的に離婚しているケースは多いように思います。でも我が故郷沖縄市の離婚率がこんなに高いのはショックです。私が結婚12年目を迎えられたのはきっとエアコン様のお陰だったのですね。月々2万円近い電気代は我が家計簿の勘定科目では、「光熱費」ではなく、「結婚維持費」に分類しておきましょう。

12 フィリピンの郵便局が好きではない

2001年1月24日(水) [012]     フィリピンの郵便局が好きではない

 私はフィリピンの郵便局が好きではない。今日フィリピンリゾートを購入したいとおっしゃるお客様から、その資料を日本へ郵送してくれという電話による依頼があった。丁重に断らせていただいた。フィリピンでは郵送とはひと仕事である。なにせ郵便局に行って、列に並ぶ。途中まで並んでついには切手完売とかで窓口閉鎖なんてことを平気でやる。

 当初はそんな事情を知らなくて郵便局へ出かけたまま3時間も戻らない有能な社員を怒鳴りつけて、むざむざ貴重な戦力を失ったものである。結局、どうしても日本に送付すべき書類があればDHLかOCSを使うことになる。迅速確実だが値段は相当高い。よって必要最低限の書類しか送らない。気軽に日本に郵送してくれと頼まれても困るのである。

 また、FAXによる送付についても、PLDTなどの寡占のため、国際電話料はべらぼうに高く、日本の(コールバック割引等に比べると)5倍から10倍はする。また反対にプリンターインクカートリッジなど製品をフィリピンへ郵送してもらったときに郵便局で支払うべき関税もきわめて高い。以上、フィリピンで取引をされる方に心得ていただきたいことである。

 ところでマニラ駐在員の方に質問。最寄の郵便ポストはどこにあるかご存知ですか。私は在比15年目になりますが郵便局以外ではきっとホテルにあるとしか答えられません。

10 大統領を目指す者は、まず副大統領になりなさい


 グロリヤ・マカパガル・アロヨ新大統領の父親、故マカパガル大統領はサントトーマス大学院における講義で語っていたことがある。

 『大統領を目指す者は、まず副大統領になりなさい。大統領と副大統領は直接選挙で別々に選出されるため、副大統領は野党からの選出になることがほとんどです。その際、大統領にとって副大統領は味方でなく、従って、任期中、大統領から重用されることはまずありません。副大統領とは在職中たいへん暇な存在です。そして、副大統領という地位により、全国を公費で旅行することが出来ます。つまり任期中の6年間をまるまる次期大統領選のキャンペーンに充てることが出来るのです。まず副大統領になることが、次期大統領への近道です』

 故マカパガル大統領はガルシア政権下の副大統領から、2期を目指すガルシアを破って次期大統領に選出された。今回追い落とされたエストラダ大統領もラモス政権における副大統領であった。アロヨ大統領も父親の言いつけを守り、エストラダ政権でまず副大統領になった。まさかこのように棚ボタ的に大統領職がころがりこんでくるとは想像しなかったであろうが。なお、現行の86年フィリピン共和国憲法ではマルコス時代の苦い経験から専制政治を避けるため、大統領職の2選を禁止している。ラモス大統領の任期中の華々しい実績からしてこの憲法の2選禁止規定がなければ長期政権になっていたであろう。今回マカパガル新大統領はエストラダ大統領の欠員を埋めて任命されたので、残り4年弱の任期を消化後、次期大統領選にも出馬できる。アロヨ大統領はうまくゆけば9年以上政権を継続できるという実に幸運な位置にいるのである。

 アロヨ新大統領就任に日を経ずしてブッシュ米大統領の就任式が行われた。生みの苦しみを経て21世紀の最初の布陣が次々と決まってゆく。「NOと云えなかった日本」は森政権のもと21世紀を勝てる布陣を敷くことができるだろうか。
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