2001年03月

30 マニラの”風邪”


 二日ほど、風邪にて在宅勤務です。マニラの邪悪な風がインターネットを通して蔓延せぬよう、HP更新を控えております。だいぶ復調して参りましたので明日から再開の見込みです。みなさんも季節の変わり目にお風邪など召さないようにお気をつけ下さい。

28 退職者ビザのページ、「日本退職者協会(JRA)」の告白


 去年5月にうちのスタッフに作らせてそのまま埃にまみれていた日本退職者協会(JRA)のホームページの改訂版の体裁がようやくまとまった。あさひのホームページと同様、たくさんのI Shall Returnを標榜するフィリピンファンにとって待望の、そして大事なページになると思う。私ももっと精進して、皆さんが知りたいと思う情報をもっと集約、掲載していきたいと思うので、どしどし、疑問、質問、ご要望をお寄せあれ。

 さて、そもそも日本退職者協会の名前の由来だが、実に明快である。大旦那であるフィリピン退職庁の名称がPhilippine Retirement Authority (PRA)である。PRAに対し、JRA。そのJRAにあてはまる言葉をと考案したのがJapan Retirees Agency (JRA)、和名を日本退職者協会。我ながらあまりにも絶妙な収まりとその麗しい響きに、命名以来、ずーっと悦に入っていたものである。(ロゴにもJRAと、思い入れ深いのです。ハイ。)

 けれどもである。皆さん、昨年、例の連合赤軍の重信房子(しげのぶふさこ)が逮捕されたニュースはまだ記憶に新しいと思います。何十年も消息不明だった重信女史が突如姿を現わし、警官に両脇をかためられ、時代遅れのピースするなど含み笑いをしながら連行されるあのシーン。ああ。なんてふてぶてしい奴(?)と思っていました。浅間山荘事件、空港爆破(乱射?)事件。世界をも震撼させたこれら凄惨な事件の光景が次々と映し出され、私もううむと見入っておりました。NHKのアナウンサーも感慨深げに「連合赤軍は海外でもJapan Red Army、つまりJRAと呼ばれて恐れられ・・・」。私は思わず「えっ?」。私の顔からと血の気がさっーと引いていくのがわかりました。そうだったのです。事もあろうに、私が愛した「日本退職者協会」と、武装左翼「日本連合赤軍」は英語では同じイニシアルだったのです。それ以来、私は、いつか誰かが気がつくに違いないと怯え、いっそ、気づかれる前に、自白せねばとずーっと思っていたのです。ようやくその時期がいま訪れたのです。あのー。本当に連合赤軍とうちとは何の関係もありませんので・・・。そこんところを・・・。えっ。なぜJRAと赤文字を使うのかって? ぐ、ぐうぜんです。
 「これだから無知の奴は困る。」と岡野先生(大学の恩師)の嘆く声が聞こえてきそうです。
 今は、連合赤軍から「JRA」の使用差し止め訴訟など、なければよいのですが・・。訴訟で済むなら御の字・・・??。
 皆さん。団体名を名付けるときは、くれぐれも類似商号の確認を怠らないように。そんなこと常識って?

29 大学同窓会の幹事の帰国

  
 明治大学OB会「マニラ駿台会」にて、4年にわたり、幹事を務められた方が帰国することになり、昨日、その壮行会に15名が集った。メンバーは銀行員、警視庁職員、運輸社員、退職者など多彩な顔ぶれであるが、永住者か一時滞在者かという分類で分けてみるとほとんどが駐在員と呼ばれる一時滞在者である。駐在員の場合、滞在期間は最長でも6年間であり、帰国を命じられてそれを拒否することはできない。これは勤め人の宿命である。私は会社勤めの経験はほんの4年くらいであったが、私が退社した理由のひとつが、新宿から新潟への転勤であった。慣れ親しんだ街から辞令一本で引き剥がされ、時には国外転勤が命じられるというのは、引越しひとつ嫌いな私には納得のいかないことである。しかし駐在員の彼らにいわせると、会社のお金で、いろいろな地域に長期滞在ができて、見聞を深められて良いとのこと。なるほど、そういう考え方もある。またそのような思考の者でなければやっていけないし、だからこそ彼らは高給取りで、多国籍企業の将来の幹部を期待された日本のエリートたちなのである。そして、日本の経済的豊かさは彼らの「住所選択・移転の不自由」に負うところが大きい。余談だが、当社の運転手がうちに勤めるようになったのはこれまで長年にわたって仕えていた弁護士家がマカティ市からラグナ州に引っ越すにあたりそれについて行けなかったからである。

27 24時間営業のホームページは便利だが厄介なシロモノ

 
 南雲ブランド(パソコンの組立を業にしてる友人のショップブランド)のパソコンが昨日、日本から到着。嬉しいのでお出かけ前に動作テストをしていると、新品のパソコン自体にではなく、我がホームページにトホホの動作不良を発見。青ざめて直ちに復旧作業に入った。しかし、出勤時間は迫ってくる。自営業ながら、8時の定時に遅れると一日気分悪いのである。

 復旧作業をしながら、なんでこんなに焦っているのか、なぜ今復旧しなければならないのかを考えてみると、ホームページは無人ながら既に我が事務所のひとつであり、支店となっているからだと気づいた。支店のひとつがトラブルなのだから、本社遅刻もやむを得まいと思い直して作業を続行することにした。とりあえず応急処置を施し、、結局15分の遅刻出勤となった。

 ホームページとは世界のどこからでも入れる24時間営業の無人広報センターである。無人であるから、メールや電話の反響以外ではなかなかお客の表情や反応が伝わってこず、入場者数の変遷で反応を想像するより仕方がない。無人ゆえ一日一回は自分で巡回しておかないと、うっかり棚が倒れているなどしていても気付かない。また、自動営業にかまけて、改装や新装を怠ると、客足が遠のく。新装・改装も大変な作業である。また改装したては要注意である。動作確認を怠ると、開かないページがあったり、思わぬ状況に気づかず、評判を落としてしまう。ホームページのメンテナンスにより、客は店主の性格やサービスのあり方を想像する。店主が勤勉か不精者か。他人任せか自立型か。それが気になるので動作不良を発見すると青ざめてしまうのである。

 しかしである。私が一番恐れているのは別のことである。さて、ホームページの更新に飽きてしまったらどうしようと。飽きないことが商い(あきない)につながるということは承知している。だが、同じことを続けるには根気が要る。あるひとは云う。だらだらと同じことを続けるから飽きるのであって商いとは常に改善しつづけるから「あきない」のだと。でも私は思うのである。その改善に飽きたらどうしようと。彼は云うだろう。その時は潔く商いをやめろと。では商いをやめたら食えない場合はどうすれば良いのか。彼は云うだろう。飽きても続けられる。だから「あきない」のだと。

 これでは埒があきない。

25 エストラダ氏は何処へ

2001年3月06日(火) [025]     エストラダ氏は何処へ

 この度の政変における「政権交代の違憲性の是非」を問う最高裁の判断は、大方の予想通り、「アロヨ政権樹立合憲」との判決となった。最高裁こそ、政権交代の立役者であり、その判事構成に変更はないのであるから、合憲判決は当然である。エストラダ氏はそれを知りながら、訴追を少しでも遅延させ、その間に身の振り方を決定しようという意図があったものと推察されるが、それも時間切れになった。これからエストラダ氏を待っているのは、本人はもとより、妻や、サンファン市長である息子に対する出廷や証言台である。もちろん、彼らのための監獄も用意されている。政治家とはフジモリ元大統領を例に挙げるまでもなく卑怯な存在であるものと認識しているが、正義の味方を演出して大統領になったエストラダ氏はどうであろうか。10余年に亘るロッキード事件公判半ばにして死去した田中角栄のように、最後まで、映像のなかのヒーローのように男らしく裁判を闘い抜くだろうか。それともマスコミの報道するように、未だ多数の支持者や信望者を捨て、借り物自家用ジェットで国外に逃げ出すだろうか。私としては、フィリピン人の誇りを守るために裁判に臨んでほしいと思う。
 エストラダ氏の去就に国民の関心が集まっている。
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