2001年04月

34 エストラダ逮捕抗議集会の行方(中)


 抗議集会に集まった民衆の目指すところは、マラカニヤン宮殿からアロヨ大統領を追い落とし、奪取したエストラダを大統領に据えることである。一方、サンチャゴ上院議員を旗頭にする野党勢力の目指すところはこの民衆の政権への怒りを利用して、来る5月14日の選挙に大勝することである。野党にとっては、扇動家に踊らされた群集が、暴徒と化し、死傷者が出ると、さらに好都合だろう。民衆の政権抗議集会に自発的に参加してくれると選挙資金の節約にもなる。

 貧困層は彼らに利用されているだけということに気づいていない。ラモス大統領になって、大躍進したフィリピン経済はエストラダ大統領になって、急激に冷え込んでいった。ラモスがまだ大統領であったなら、あるいはエストラダがラモス路線を継続していれば、アジア通貨危機も克服して、安定成長に導いていただろうことは想像に難くない。アロヨ副大統領はラモス路線の継承を約して、大統領に担ぎ出された。エストラダ大統領は何一つ国民のための施策を行わなかったのに正義の味方という映画のイメージに踊らされている民衆。それを利用しているのが、彼らの忌み嫌うエンリレ、サンチャゴという富裕層に属する伝統的政治家たちなのである。

 発展途上国の国民が経済的に豊かになるためには政情の安定、通貨の安定、雇用の促進に尽きる。フィリピンの教育現場で子供に最低それだけのことを教えておけば彼らは大人になって悪徳政治家の言葉には惑わされないはずである。

33 エストラダ逮捕抗議集会の行方(上)

2001年4月28日(土) [033]    エストラダ逮捕抗議集会の行方(上)

 これまでエストラダ政権崩壊、アロヨ誕生の次第を逐一お伝えしてきたのだから、ここ3日間の主な経過をご報告する。

 4月26日エストラダ元大統領は、サンファン現市長の息子ジンゴイ氏とともに、略奪罪で逮捕され、クラーメ基地内の国家警察(PNP)本部内拘置施設へ収監された。エストラダ邸付近の道路を封鎖していた親エストラダの群集は逮捕を食い止めようと投石をするなどの抵抗をしたものの機動隊、警官隊、海兵隊の合同チームにより打ち破られた。その間20分の出来事だった。
 26日の夜から、エストラダ「不当逮捕」に抗議するためにEDSAへ集まろうという呼びかけに呼応して、全国各地から、親エストラダ派である野党のバスなどのチャーターにより、EDSAには続々と民衆が集結し始め、27日夜にはPNP発表では最高6万人に達した模様。

 PNPのメンドーサ長官はPNP本部は国家安全の中枢であり、扇動者の呼びかけにより、そこに収監されているエストラダを奪取しようと、暴徒と化した巨万の群集がクラーメ基地の門を打ち破った場合、エストラダだけでなく、国家安全そのものが脅威にさらされることになる。このように公務員特別裁判所に訴え、同裁判所は、群集の数が今後も増加し、その危険が高まるなら、いつでもエストラダをラグナ州サンタロサの国家警察特殊部隊訓練所に設けられた収容施設に移送してもよいという許可を与えた。そして28日の今日、群集の行動の行方を見守っている状態である。

 暫らく1ドル49ペソで落ち着いていたペソ為替レートは51、3ペソ近くまで、下落し、既に経済活動に影響が出始めている。

 アロヨ政権がもうひとつ危惧しているのは、万一、エストラダ大統領がある勢力により「暗殺」され、ニノイ・アキノのように「ヒーロー」に祭り上げられ、来る選挙〔5月14日(月)実施。上院議員半分、地方自治体の長と議員全員を選出〕が弔い合戦となった場合、親エストラダ派の野党候補が大躍進し、政権運営が困難になるという最悪のシナリオである。政権サイドはラグナの収容施設では、エストラダの安全確保は難しいとみている。

32 刺青、ピノイ、緊張


 『それはまだ人々が「愚か」と云う尊い徳を持っていて、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑(のどか)な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁(おいらん)の笑いの種の尽きぬようにと、饒舌を売る茶坊主だの幇間(ほうかん)だのと云う職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりしていた時分だった。』

 こんな書き出しに始まる谷崎潤一郎の『刺青』は私の大のお気に入りである。わずか十頁の文章に美への狂気が一字一句無駄のない美文に飾られ、凝縮されている日本文学史上、類のない傑作であると信じている。

 さて、フィリピンに『愚か』という尊い徳が、尊さを失うほど蔓延していることに異論はないはずである。しかし『美』に限らず、あらゆる分野において、一般のフィリピン人(PINOY)に物事の本質、または高品質『追求』の意識は概して稀薄である。

 フィリピン人とは熱帯魚同様。見かけはど派手(カラフル)でも、中身は大味で、脂が乗っていないような気がする。これは私の故郷沖縄でもしかりである。

 野菜でも麺でも、染物でも冷水に晒して、細胞を引き締め、風味を引き出す。緊張なくしては良いものは生まれない。暑い国ではなかなか身が引き締まらないのである。

 かつて我が恩師、岡野加穂留先生が『光の国と闇の国』という著書の中で、社会福祉と政治制度について北欧と南の諸国を比較して、光に乏しい闇の国、北欧諸国のほうが実は福祉や政治に優れ、光多き南国が実は福祉的・政治的には闇の国であるのだという現実を説明した。

 「緊張の糸が切れる」という表現がある。フィリピン人の多くがほとんど「緊張」というものを経験していないのではないか。
私たちが南国に憧れる理由のひとつはその『緊張のなさ=リラックスした気分=弛緩』であるのは当然だが、そればかりでは人生、味気なく、面白みに欠ける。

 平日に求められる緊張と、休日に求められるリラックス。このスイッチの切り替えがうまくできなければ、なかなか実りある人生がおくれないし、それができる人間の割合が大きい国ほど、繁栄しやすいことは、人間社会の現実であろう。動物社会でも、獲物を獲るとき、天敵から身を守るとき、最大限の緊張をしなければ、個は生き延びることができないのだから。緊張なくして弛緩は生まれえず、である。けれども、当社のフィリピン人社員にさえ、その意味と意義を説くことができないという私にとっての悲しい現実がある。

31 セブのおはなし


 風邪をひいてすっかりご無沙汰してしまいました。

 さて、久しぶりにお客様に誘われてセブへ行って参りました。飛行機はジャンボでびっくりしました。セブへは10年前くらいから、時々訪れるのですが、やはりフィリピンきってのマリンリゾートのメッカという雰囲気が全体に漂います。交通量も目だって増えていませんし、コンドミニアムやホテルなどの建築は進んでいるものの、マクタン島でもセブ市内中心部でもまだまだ空地が目立ちます。海の汚染の最大原因は生活廃水ですから、人口増加が遅いことは望ましいことです。ホテルやレストランのお客はみな観光地特有の開放感を漂わせており、マニラの殺伐とした雰囲気とはたいへん異なります。セブアノは気位が高いことはよく知られていますが、セブに限らずビサヤス地方の人々は子供の教育に熱心で性格はくそまじめというのがフィリピン人の評判です。但し、教育には熱心ですが、言葉には独特の訛りがあり、マニラでは教師に向かないとのこと。昨年、私の会社にビサヤス出身の社員が入社したことがありました。極端な例とは思いますが、彼女はお客様の電話に『ハロー』というところを『ハルー』と応えて他社員の失笑を誘い、結局、二日で首になってしまいました。私も見ていて詮なきことと思いました。
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