年の暮れの押し迫ったある日のことである。親しい友人から、私のホームページの印象として、「のっけに不動産とあるから不動産屋とわかるが、さて、内容はというと、何がなんだかわからないなあ」というやんわりとしたご指摘を頂いた。笑ってうなずいたものの、「他人にとってどうかは知らぬが、自分にとってボランティアと仕事は一体ゆえ、こうなるのだ」という反発が心中にあったのは事実である。
だが、数刻ののちには、その指摘、重く受け止めるべきではなかったか、という反省が徐々に広がってきた。他人の批判を聞き流すのは簡単だが、それでは何にもならぬ。批判は反省のチャンスであり、他人の批判は重く受け止めてみて、そこに改良の可能性があるのである。よって、取り敢えず、この批判の内容を精査してみることにした。不動産屋らしいホームページとは何だろう。その前に、事業家たるものいかにあるべきか。事業家たるもの、事業行為を以って社会に貢献すること、これが基本でなくてはならない。事業をおろそかにしてボランティアに勤しんでも、これは邪道でしかない。
さて、私は果たして不動産屋として満足な仕事を行っているであろうか。答えは否、である。実際、売物件としてわざわざ撮影してきて、放置しているものが、数多くある。このままでは、永遠に市場に出ない可能性もある。これは専任を受けず、前金を受けてはいないとはいえ、期待と希望を賭けた売主への裏切り行為ではないか。では、私に時間はあったのか。時間はあった。同じボランティア活動が数回できるほど、時間は豊富にあった。時間資源を有効活用していなかっただけである。無為に過ごしている時間が多かっただけである。
では不動産らしいホームページとは如何なるものか。それは不動産に関係のある情報、つまり、賃貸借・売買に必要な物件情報から、国家、文化、社会、法律、慣習などすべての概況が網羅されたものであるべきであろう。よって、今年の仕事として、より精密で、親切な不動産の資料つくりとホームページの正常化に勤しむことを約し、これを遅かりし新年の誓いとしよう。
だが、数刻ののちには、その指摘、重く受け止めるべきではなかったか、という反省が徐々に広がってきた。他人の批判を聞き流すのは簡単だが、それでは何にもならぬ。批判は反省のチャンスであり、他人の批判は重く受け止めてみて、そこに改良の可能性があるのである。よって、取り敢えず、この批判の内容を精査してみることにした。不動産屋らしいホームページとは何だろう。その前に、事業家たるものいかにあるべきか。事業家たるもの、事業行為を以って社会に貢献すること、これが基本でなくてはならない。事業をおろそかにしてボランティアに勤しんでも、これは邪道でしかない。
さて、私は果たして不動産屋として満足な仕事を行っているであろうか。答えは否、である。実際、売物件としてわざわざ撮影してきて、放置しているものが、数多くある。このままでは、永遠に市場に出ない可能性もある。これは専任を受けず、前金を受けてはいないとはいえ、期待と希望を賭けた売主への裏切り行為ではないか。では、私に時間はあったのか。時間はあった。同じボランティア活動が数回できるほど、時間は豊富にあった。時間資源を有効活用していなかっただけである。無為に過ごしている時間が多かっただけである。
では不動産らしいホームページとは如何なるものか。それは不動産に関係のある情報、つまり、賃貸借・売買に必要な物件情報から、国家、文化、社会、法律、慣習などすべての概況が網羅されたものであるべきであろう。よって、今年の仕事として、より精密で、親切な不動産の資料つくりとホームページの正常化に勤しむことを約し、これを遅かりし新年の誓いとしよう。