先般、邦字紙の報道によれば、65歳の日本人男性が、フィリピンで起業した事業の失敗による生活苦で、11歳になる子供を道連れに、無理心中を図るという事件があった。詳細は不明ながら、自殺というものを禁止しているカトリックのフィリピンで、死ぬ気などないわが子の生命を、「無理心中」という極めて日本的な文化で絶とうという企ては、二月の日比友好祭に湧き立つ日本人社会に少なからぬ衝撃を与えた。
大企業の場合、結果が出せない、トラブルに見舞われるなどした駐在員は、企業利益防衛のために、任を解かれて姿を消してゆく一方で、外国で裸一貫、腕一本に頼る個人起業家に逃げ場はない。とりわけこのフィリピンでは、中小零細企業が資金の借り入れを起こすのは、ほとんど不可能という事情から、上述のような事件には身につまされる思いがするのである。
しかしながら、フィリピンは、高級ビレッジの豪邸で生活する金持ちはほんの一握りで、中流階級は少なく、かなりの割合の庶民が畳2~4帖ほどの生活を余儀なくされるというお国柄である。多少の生活難を理由に、いたいけな子どもの命まで奪おうとは、日本人の「エゴ」と「命に対する不遜」と断じられてもやむを得まい。
さて、日本はこの戦後最悪の経済不況と構造改革でいまや年間3万人以上の自殺者を出す、自殺大国である。これは、人生への絶望感や残された家族への保険金支払いを当てにしてのことであろうが、一方で、ここフィリピンでは、生活苦による自殺件数は極めて少ない。
よって、この国における「無理心中」は異例中の異例の事件と云わざるを得ず、結局、これを企てた彼は、物質的には貧しくても、精神的には豊かなフィリピン社会の性格を理解しようとしていなかったのではないだろうか。併せて、彼には現状を打開する策も、安心して相談できる日本人の仲間もなく、徐々に追い詰められて、わが子に手を掛けるに至ったのであろう。日比ビジネスクラブはそんな彼の傍らにこそ存在すべきであった。
そもそもフィリピンにおける日本人とは「有能なれど、信用ならぬ」起業家と「信用はできるが、能力に欠ける」起業家が、大半を占めると云われる。ゆえに「信用」と「能力」、二つのメダルを与えられる起業家はまことに少ないとの批判は重く受け止めねばなるまい。それゆえ、日比ビジネスクラブとはこの二つの誇りあるメダルを手にする起業家を発掘するとともに、優れた事業家を育くむ集団でありたい。そうした努力が、やがては日本人の自殺者を防ぎ、フィリピンで生活する日本人に、より快適な環境を提供できると信じるからである。
(本文は日比ビジネスクラブ3月度会報に挨拶文として掲載したものです)