2002年10月

74 パソコンの掃除


 私は元来掃除が苦手である。私の女房は喘息・アトピー持ちのため、私以上に掃除・洗濯・皿洗いが苦手である。彼女の家事にはゴム手袋が必須アイテムである。つけないと、皮膚がボロボロになる。ほこりにまみれて掃除でもすれば、その晩は喘息の発作で不眠となる。これでは日々の生活にさしつかえるわけである。

 その点、フィリピンは良い。メードさんがこれらをやってくれる。朝眼が覚めて、廊下に出ると、床がピカピカに磨かれ、台所がすっきり、整頓され、ソファにアイロンの掛かった洗濯物がたたんであるのを見ると、今日も一日頑張ろうという気になる。一方、メードが辞めてしまうと、床はほこりをかぶり、台所は汚れた皿であふれ、朝、出掛けようとして、着る服がない。一日のスタートがうまく切れないのである。たぶん、私たち夫婦はきっとフィリピンにしか棲息できない。

 一方、メードさんの手を借りてできないのが、パソコンのデータの整理整頓である。データのほとんどが、日本語なので、フィリピン人の社員に任せるわけにもいかない。パソコンには、文書だけではなく、デジタルカメラでとった電子画像も随分ある。実にやっかいである。

 整理しないまま、結構長い間、放置していた。それでも、今回重い腰をあげて、整理しようと決意したのは、ある必要なデータが何処に行ったか見つからないのである。事務所にある2つのパソコン、自宅にあるパソコン、合計3つのパソコンのあちこちを探して、見つからない。これでは仕事にならないと、始めたのがこの作業である。カテゴリー分けをして、フォルダーをこしらえ、せっせと整頓を始めた。恥ずかしながら、3日掛かりの作業になってしまった。探していたデータもついに発見。消去したとばかり思っていた貴重な資料が出てくるという収穫もあった。必要なバックアップもとった。これでしばらくは安穏としていられよう。

 ところが不安がないわけではない。なぜなら、新しいパソコンを購入したからである。おそらく、次の作業には丸4日を要しよう。それを考えると、今から頭が痛い。
 

73 期待族?

 恥ずかしながら「期待族」という言葉を最近初めて知った。ふむふむ、期待族とはどうやら「暴走族」とセットで用いられる社会現象のようだ。数人の暴走族の未熟芸?を何百人もの若い聴衆が見守る。熱狂的にはやし、暴走をあおる。取締りの警官に罵声を浴びせ、時には暴走族への追跡を妨害し、その逃走を幇助する。簡単に云うとそんな一種の犯罪幇助行為をさす言葉のようである。さて、たまりかねた「大人」たちはどうしたかというと、姫路、愛媛が、そして、このほど沖縄市がこの「期待族的行為」を禁止・処罰する条例を可決したわけである。姫路・愛媛の例では、条例化の効果は絶大で、その後、同行為は鳴りをひそめたとのこと。

 期待族の行動とは、自分はできないことをやってのける人々を、大勢で応援することによって、一体感を楽しむ、または一体化したかの幻想に浸る。応援すべきがスポーツなど合法的かつ健全な行為に対してのものなら、問題はなかろうが、これが犯罪行為に対してのものだから問題になっている。

 私が面白くないと思うのは、これまで平気で警察の妨害行為をしていたのが、条例ができたとたん、やめてしまう、その気の弱さ、いくじのなさである。自分の判断力に自信がないから?いや、そもそも判断すること、それすらしていないのである。この頃の若者は一体どうなっているのか、と目くじらを立てるところである。

しかし、このような倒錯現象は若者だけに起こっているのではない。

 というのも、私の知り合いで一見、順風満帆に生きてきたように見える50代で、最近、妻子を捨て、若い女性と同棲生活を選んだ者がいる。彼は職業柄、若い人たちに取り巻かれて仕事をしている。職場には自分以外は、10代後半から20代の若者だけという。彼は起業家として、これまでいくつもの夢をもって生きてきて、そのうちのいくつかの夢を実現してきた。しかし、目標とか夢を持たず、刹那的に生きる若者を見るうちに、目的や目標を設定して、それに向かって努力するという自分の生き方に疑問と迷いが生じたという。これは彼の最後の目標の実現が年齢的に難しく遠のいたことも理由であろう。自己実現をしたという達成感と、その後襲ってくる脱力感。この二つの感覚を、夢を実現する度に味わってきたばかりか、その次の高いハードルを越えることは自分の力では不可能という無力感と諦観。50にしてみちを踏み外した理由はこんなところだろうか。

 要するに若者のなすある種の行動に対し、今の大人たちはこれが大人のもつ倫理とか常識を逸した行為であったとき、まず驚愕し、眉をしかめるものの、その善し悪しをにわかに裁定できないというわけである。なぜか、それは大人が必ずしも勝ち戦ばかりを経験してきたわけではないからである。

 日本は経済成長を成し遂げ、バブルで世界を征服したかの幻想に酔いしれた。しかし、その後バブル崩壊後の大不況から、まったく抜け出せないでいる。今まで良かれと日々行ってきた業が、実はそれは絶対勝利を約束するものではなく、それだけをもって、幸せを必ずしも手に出来ないということを思い知ったわけである。今は日本中の誰もが迷宮にさまよう。その点、家族のために黙々と働き、迷いなく、日々を送ることのできるフィリピン人が羨ましい。
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