2005年01月

154 今年の抱負

 
 年末のスマトラ沖大地震による空前の大津波災害が影響してか、私的にも年頭から予想外の出来事が次々と起こる厳しい船出になっている。そこで今年は「忍」の一字。新しい事業をできるだけ避け、「大病をしたり、死んだりしないこと」、「会社を潰さないこと」。このかなり弱気な2点に絞って一年を乗り切ろうと考えている。とはいいながら、しばらくするとつい新しいことを始めてしまう自分が怖いのだが・・我慢、我慢。とにかく忍耐が肝心だ。

 昨年12月の天皇誕生祝賀会、今月の新年会、と立て続けに日本国大使公邸における2度のパーティーに参加した。大使公邸におけるこのようなパーティーはペルーの日本国大使公邸襲撃人質事件以来、3年ぶりのことであり、私にとってもはじめての参加となった。

 フィリピン邦人社会を代表する方ばかりが参列している立派な会なのだが、私のような弱小企業の事業主が平日の営業時間をに参加するからにはそれなりに意義を見出さなくてはならないだろう。けれどもにわかにそれを思いつくほど頭もよくなく、結局、無為に2度のパーティーをやりすごしてしまった。

 昨日、三木睦彦先生宅におじゃまして、お話を伺っているうちにひとつ名案(迷案?)を思いついた。それはそこでお会いしたそれぞれの立場の人たちにぜひともやって頂きたいことを、それが実現するまでただ繰り返し訴えるということである。

 例えば、カトリックの神父には全国の神父にミサで農業振興の必要性を市民に説いてほしいとか、大使には日比ビジネスクラブでの講演をお願いするとか、マニラ新聞の代表には、そろそろ社説のある新聞になってほしいとか、とにかく自分の信念に基づいた依頼を何度も繰り返し訴えることを思いついたのである。所詮、人間はそうたくさんのことは実現できまい。連呼していれば、私自身も重要懸案事項を忘れないというメリットもある。

 うざいヤツと思われるだろうがしばらくはこの方針で行こうと考えている。
 

155 フィリピン邦人社会の怠惰

 
 フィリピンの邦人組織はかつて2つに分けることができた。
 ひとつは企業駐在員を中心に結成されたマニラ日本人会、そして非駐在員を中心に結成されたマニラ会である。
 
 マニラ会は故大沢清氏によって結成されたものだが、大沢氏引退後は、歴代会長職や事務局長職にあった者の多くが自己利益のために地位を利用し、また主導権争いに明け暮れたため、次第に分裂、衰退化していった。

 一方、マニラ日本人会の会員の大半は、被雇用者として社命を帯びて当地へ赴いたのであって、いずれは帰国する身であるとともに支店長、または現地会社代表としての分をわきまえていたのだろう。地位利用の弊は最小限に留まった。さらに日本人商工会議所と歩みを一にして邁進したことがこれほどの発展に繋がった理由だろう。

 もちろん、駐在員と非駐在員(起業家、シニア永住者)が手を携えて相互協力をすればよいのだが、現状ではそうもいかない。マニラ会が求心力を失ったからといって、非駐在員たちはマニラ日本人会に属するわけにも行かず、商友会、日比親善同友会、PRA日本人会などいくつもの団体に分かれていった。

 私は、非駐在員の会であるマニラ会がダメになった理由は、まず日本では通用しないようなビジネスマンや日本から逃亡してきたような人が身元不詳者が会員となっており、しかも詐欺罪などで刑事告発を受けるような虚業家が役員として闊歩していたからにほかならない。

 そして「詐欺も商売のうち」、「命が安い国では泣き寝入りが得」などと現地で囁かれている状況を放置していたのは、私たち非駐在員の怠慢だったのである。
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