「武士道は日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、日本の土壌に固有の華である」。
37才の新渡戸稲造が英文で綴った『武士道』はこの言葉で始まる。人殺しを生業とする武士の倫理について、敬虔なクリスチャンであった稲造が書いたことに意義があると思う。
「武士道をはぐくみ、育てた、社会的条件が消え失せて久しい。かつては存在し、現在の瞬間には消失してしまっているはるかかなたの星のように武士道はなおわれわれの頭上に光を注ぎ続けている。封建制度の所産である武士道の光は、その母である封建制度よりも長く生きのびて、人倫の道のありようを照らし続ける」。
稲造がこれを書いた1898年から既に 110年近くが過ぎた今日、果たして稲造のいう「武士道の光」はいまだ人倫の道を照らし続けているだろうか。
武士道を支える精神的支柱は「義」であり、義 とは正義、つまり正しいことを指すものである。『義を見てなさざるは勇なきなり』。孔子のこの言葉こそが武士道の最も大切な「正しいことをなす勇気」である。さらに「勇」は決して向こう見ずであってはならず、血気の勇なら盗賊も致すものとして武士道では「犬死」を戒める。とはいえ正義を知りながらそれをなさぬは卑怯であると断じているのである。
一度くらい戦争に負けたからといって、米国の一時的統治下で多少の規制があったからといって、卑怯と臆病を退ける勇気の鍛錬を子供の教育の現場から完全に遠ざけてしまったことは悔やまれるべきだ。勇気や仁を定義して下記のように語った稲造は現代日本人の精神文化の荒廃に慟哭するに違いない。
「勇気の精神的側面は落ちつきである。つまり、勇気は心の穏やかな平静さによって表される。平静さとは静止の状態における勇気である。果敢な行為が勇気の動的表現であることに対して、これはその静的表現である。まことに勇気ある人は、常に落ち着いていて、決して驚かされたりせず、何事にもよっても心の平静さをかき乱されることはない。彼らは戦場の昂揚の中でも冷静である。・・・私たちは危険や死を眼前にするとき、なお平静さを保つ人、たとえば、迫りくる危難を前にして詩歌をつくったり、死に直面して詩を吟する人こそ立派な人として尊敬する。文づかいや声音に何の乱れもみせないような心のひろさ―私たちはそれを「余裕」と呼んでいる―はその人の大きさの何よりの証拠である」。
また稲造は、民を治める者がもたねばならぬ必要条件は 「仁」であるとして、
「愛、寛容、他者への同情、憐憫の情はいつも至高の徳、すなわち人間の魂がもつあらゆる性質の中の最高のものと認められてきた。・・・それは高貴な精神が持っている中でもっとも王者らしいものであり、また王者にこそもっともふ さわしい徳であった」。
封建制度のもとでは容易に武断政治におちいりやすい。私たちが最悪の専制政治から救われているのは仁のおかげである。支配される側が「身体と生命」を無条件で預けると、そこには支配する者の意志だけが残る。
私はこの文を他人へメッセージではなく、自戒として綴っている。会社を経営する者として社員の上に立つ者、つまり他人の忠誠心を預かる者として上記事柄は肝に銘じておかねばならない。
稲造の『武士道』はそれに価値を見出す者が実践のための教本として読むべきものであって、単なる教養を目的に読まれるべきものではない。
私はフィリピンにおける邦人社会の無秩序に稲造の精神、武士道の精神とその実践の必要性を感じたわけだが、日本に留まっていればそのような境地には辿り着かなかったかもしれない。
邦人社会の倫理と秩序の確立を掲げた今、豪胆とはいわねど私のこころは秋空のごとくさわやかで澄みきっている。剣術は嗜まないが二本差しの心境とはこのようなものなのだろう。
37才の新渡戸稲造が英文で綴った『武士道』はこの言葉で始まる。人殺しを生業とする武士の倫理について、敬虔なクリスチャンであった稲造が書いたことに意義があると思う。
「武士道をはぐくみ、育てた、社会的条件が消え失せて久しい。かつては存在し、現在の瞬間には消失してしまっているはるかかなたの星のように武士道はなおわれわれの頭上に光を注ぎ続けている。封建制度の所産である武士道の光は、その母である封建制度よりも長く生きのびて、人倫の道のありようを照らし続ける」。
稲造がこれを書いた1898年から既に 110年近くが過ぎた今日、果たして稲造のいう「武士道の光」はいまだ人倫の道を照らし続けているだろうか。
武士道を支える精神的支柱は「義」であり、義 とは正義、つまり正しいことを指すものである。『義を見てなさざるは勇なきなり』。孔子のこの言葉こそが武士道の最も大切な「正しいことをなす勇気」である。さらに「勇」は決して向こう見ずであってはならず、血気の勇なら盗賊も致すものとして武士道では「犬死」を戒める。とはいえ正義を知りながらそれをなさぬは卑怯であると断じているのである。
一度くらい戦争に負けたからといって、米国の一時的統治下で多少の規制があったからといって、卑怯と臆病を退ける勇気の鍛錬を子供の教育の現場から完全に遠ざけてしまったことは悔やまれるべきだ。勇気や仁を定義して下記のように語った稲造は現代日本人の精神文化の荒廃に慟哭するに違いない。
「勇気の精神的側面は落ちつきである。つまり、勇気は心の穏やかな平静さによって表される。平静さとは静止の状態における勇気である。果敢な行為が勇気の動的表現であることに対して、これはその静的表現である。まことに勇気ある人は、常に落ち着いていて、決して驚かされたりせず、何事にもよっても心の平静さをかき乱されることはない。彼らは戦場の昂揚の中でも冷静である。・・・私たちは危険や死を眼前にするとき、なお平静さを保つ人、たとえば、迫りくる危難を前にして詩歌をつくったり、死に直面して詩を吟する人こそ立派な人として尊敬する。文づかいや声音に何の乱れもみせないような心のひろさ―私たちはそれを「余裕」と呼んでいる―はその人の大きさの何よりの証拠である」。
また稲造は、民を治める者がもたねばならぬ必要条件は 「仁」であるとして、
「愛、寛容、他者への同情、憐憫の情はいつも至高の徳、すなわち人間の魂がもつあらゆる性質の中の最高のものと認められてきた。・・・それは高貴な精神が持っている中でもっとも王者らしいものであり、また王者にこそもっともふ さわしい徳であった」。
封建制度のもとでは容易に武断政治におちいりやすい。私たちが最悪の専制政治から救われているのは仁のおかげである。支配される側が「身体と生命」を無条件で預けると、そこには支配する者の意志だけが残る。
私はこの文を他人へメッセージではなく、自戒として綴っている。会社を経営する者として社員の上に立つ者、つまり他人の忠誠心を預かる者として上記事柄は肝に銘じておかねばならない。
稲造の『武士道』はそれに価値を見出す者が実践のための教本として読むべきものであって、単なる教養を目的に読まれるべきものではない。
私はフィリピンにおける邦人社会の無秩序に稲造の精神、武士道の精神とその実践の必要性を感じたわけだが、日本に留まっていればそのような境地には辿り着かなかったかもしれない。
邦人社会の倫理と秩序の確立を掲げた今、豪胆とはいわねど私のこころは秋空のごとくさわやかで澄みきっている。剣術は嗜まないが二本差しの心境とはこのようなものなのだろう。