2008年10月

216 幸せですか

「しあわせ、とか、ふしあわせ、とかいう言葉は、もともと女々しい不正確な言葉で、主観でしかはかりようのないものである。」(曽野綾子)

 今、自分は
「幸せですか」
と聞かれたら
「ああ、幸せだよ」
と答えるだろう。

 どこかのブログの広告にあった。
「あなたの年収は適正ですか」
 ある人たちの幸せはその質問に答えただけで木端微塵になるのだろう。
 幸せは相対的なものではなく、他人と比較すべきものではない。

 自分はほしかった幸せをここフィリピンでようやく手に入れた。
 それは何も日本で得られなかったものではないかもしれない。
 でもとりあえず、今、自分は妻に恵まれ、子供も仕事も順調に成長生育していて、結構、満足している。

 余りある欲望を律して充足を知る心こそ大切だと、ある人が説いていた。
 私も同じ意見だ。
 でもあまり満足していて油断すると突然死することがある。
 私の友人は満足の絶頂期にこの世を去った。
「まだまだ、まだ不満足だ。まだ死ねない」
 フィリピンのように絶対的幸せを得られる国に生きていると
「まだ死ねない」という気持ちを持つことも大切かもしれない。

 徳川家康は70歳過ぎの老体に鞭打って徳川家安泰のために、大阪城を二度に亘って攻撃して織田秀頼を死に追い込み、織田家を滅ぼした。
 余りある欲望はいけないが、目標に達してもすぐに次の目標を設定し、ついには死の目前まで目標を定め続けることこそ長生きの秘訣かもしれない。

 大学生の頃、結婚を誓った女性と「一緒に可愛いお爺さんとお婆さんになろうね」と約束したことがあった。この温かい国では好々爺になることは難しくなさそうだが、早死にしないために意地悪じいさんの真似ごとをするのも名案である。

 私の義理の弟(フィリピン人である)が三十の若さでこう言った。
「自分は余りにも人が良すぎる。海外に出稼ぎに行って兄貴の結婚式の費用も工面してあげたし、両親のためにマニラに家まで買ってあげた。親父は飲んだくれで母親に暴力を振るい浮気もした。でも僕は悪癖のひとつもない。これでは神様に早く召されてしまう。だから最近ちょっと悪いことをしなくてはいけないと思っている」

 彼とは随分次元の異なる気がして情けないが、あまり人が好過ぎるのも、現状に満足するのもいけない。脳みその筋肉が退化老化風化するのを何とか食い止めて長生きをしたいものである。

215 SEO(サーチエンジン最適化)

 SEO(サーチエンジン最適化)というのは、誰かがサーチエンジンで検索したとき自分のホームページを常に上位に表示させる技術をいうらしい。ホームページ製作者はその技術をもって高い報酬で製作を請け負う。大そうなことである。

 私の「フィリピン売り物件メルマガ」ではそのような対策はしていないが「グーグル」や「ヤフー」でキーワード「フィリピン不動産」で検索すれば、常に上位10番に3つ、4つ表示される。それもそのはず。毎日新たな情報を仕入れて更新しているのだから当たり前のことである。

 そういえば私のメルマガに並んで常に上位に表示されるある不動産情報のホームページがある。でもいつ閲覧してもほとんど更新のあとがない。なるほどこのホームページの製作者またはオーナーもそれなりのSEOの使い手なのだと納得する。

 でも、そのような小手先の技術をいくら駆使したとて、まじめにコツコツと仕事を積み上げている人間には勝てない。閲覧だけさせても中身がなければ仕事に結びつかないからである。

 いつの世にも一獲千金を夢見る輩がいる。しかし額に汗せずして得たものは遠からず喪失してしまうものである。

 人々はなぜ働くのであろう。もちろん、生活に必要最低限の糧を得るために働き続ける人もあろう。でも必要最低限以上のお金を得て、なお働き続ける人がいる。来世には金は持ってはいけないから、そういう人はお金だけが目的で働いているのではない。

 そもそも、私にとって、働くことの究極の目的とは、仕事を通して己を律し、己を磨き上げることにある。そうでなければ覚醒している時間のほとんどを労働、仕事に費やすことの意味がない。

 それゆえ、額に汗せずに金銭を得ようとするものに人格者はなく、汚職をする者は己の人格を汚し、卑しくものである。
 
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