2009年12月

230 瞬く間に過ぎた2009年

 今年はあわただしい一年だった。
 これほどせわしく過ぎた年があっただろうか。

 フィリピン在住者にとって、もっとも記憶に残る事件はやはり台風オンドイの襲来であろう。私自身はそうでもなかったが、周りにもたくさんの被災者がいた。
 
 従って今年のクリスマスは決して手放しでは喜べない。決してドンちゃん騒ぎで迎えることのできない。そんな年はこれまでになかった。

 個人的には、年末にもつれにもつれたリゾート一戸建の売買と同時に起こった愛車のエンジントラブル。クルマなしでは成り立たない商売だから、拝み倒して代車を借りまくって、いろいろなクルマに乗ることになった。不調のクルマも多かったのでさらに神経を消耗する羽目になった。

 あれから3週間が過ぎたが愛車はいまだ修理屋から出てくる気配すらなく、気持ちは憂鬱のままである。

 日本人にとっての最大のニュースは政権交代であろうが、フィリピンも来年は大統領選挙を含む国政・地方選挙を迎える。

 昨年、米国が非白人大統領を誕生させ、今年日本では米国嫌いの政権が誕生した。時代の流れは加速し、液状化とすら感じられる。このあまりに早い時間の変遷に来年もさらに見通しの立たない年が控えている。

229 アンチ・テーゼ

 やはり人間は年をとっても、年齢を重ねても、常に新しいことを始めたくなるもの。かつていわれていた「マイブーム」というのもその傾向を形容したものか。

 最近、石鹸なしで風呂に入ることを覚えた。

 子供のときから親に仕込まれた誰もがやっている習慣を変えるのは抵抗のあること。

 既に20代の頃から洗髪にシャンプーではなく、石鹸を用いることを行っていた。シャンプーというものすぐにストックがなくなる。その度に自分のブランドを探して店へ行き、目当ての商品が見つからなくて落胆する。ある日その馬鹿らしさに気づいたのである。自宅に戻って石鹸で髪を洗ってみた。洗えるではないか。テレビでさかんに流されているシャンプーの宣伝。それに踊らされていた自分がその輪の中からはみ出した。これ、まさに快感。

 同じように、最近ハタと気づいた。幼い頃からの習慣。石鹸で風呂に入るというのは、日本ではたぶん明治以降、苛性ソーダが日本にもたらされて以降の習慣であって、太古からある習慣ではないのだ。

 ためしに石鹸なしでシャワーを浴びてみるとなーんだ結構いけるじゃないか。もちろん、化学繊維でできた高性能の「垢すり」あっての試みだ。「湯上り美人」などといわれたが、それさえ石鹸に含まれる香料の匂いであり、彼女の本来の匂いを表したものではない。シャワーの水を流しっぱなしでガンガン体が洗えるのが良い。石鹸を使うにはお湯を小休止して、石鹸の塗る時間が必要だ。これが私には面倒臭い。石鹸のついたぬるっとした手でガランに触るのも実は気持ちの悪いことだったのだ。

 かくして私は石鹸なしの体になった。ケミカルフリーである。

 ところで、最近ダイエットをしている。食事は夕食だけ。「一日一膳」である。すると体重が減ってくる。73キロ、だったのがじわりじわりと一日0.5キロくらいのペースで減ってきて、今は66キロ。それと、胃が縮小し、これまでの半分くらいしか食べられなくなった。まさに快感。たくさん食べて減量のために運動をするというのは邪道であり、長続きするはずがない。

 江戸時代まではせいぜい一日2食というのが日本人の食生活で、3食になったのはこれも生活が豊かになった明治以降の習慣である。

 何時間も食事抜きをすると胃が食物を求めて緊張する。そして食事にありついたときの幸福感。胃に染み渡る食物のありがたさ。皆さんもぜひ「一日一膳」の快感を味わっていただきたい。 

228 ドリコムブロクサイト身売り

 ドリコム・ブログサイト、ライブドア・ブログへ身売り。 

まあ、詮無きことで。

 かくいう私もこのサイトの障害のあまりの多さに愛想を尽かし、1年前に商売用のホームページについては別のサイトへ引っ越したくらいですから、この日が来るのは時間の問題だと思っていました。

 競争が激しい世界では常に新しい勢力が泡のように沸いて、力のある者だけが生き残る。この適者生存の法則は誰にも曲げられない。

 ファンが付いてもファンに見放されるようでは仕方がない。
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