2012年07月

341 事業「無」計画書

「無犯罪歴証明書」という言葉があるなら「事業無計画書」という言葉があってもいい。

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会社設立や不動産のあっせんなんて仕事をしているといろいろな問い合わせが入ってくる。

疲れるのは、会ったこともない私に筆談でわけのわからない夢を語り、くだらない質問をたらたらしてくる輩だ。

名前も素性もほとんど明かさずにどんどん聞いてくる。こっちはネットに卒業した小学校から一切を公開しているから「匿名者と公人の対話」である。

チョー初心者的質問と荒唐無稽な「計画」というか、「無計画」について聞いてくる。それでも我慢して丁寧に返事をしていると、調子に乗ってまたいろいろ聞いてくる。終いには面倒くさくなって、

「あなたも事業家のはしくれなら、もう少し計画を煮詰めてから持ってきてください。我々の仕事はそれからです。」

 と書いて送ると、

「煮詰まったら役所にもっていく。煮詰まっていないから聞いているのだ。・・・もう頼まないからいいです」

と逆切れをする。匿名だからいくら相手を攻撃しても平気なのだ。しまった。また匿名者に真摯な態度で接してしまったと親切な自分に反省しつつも、本当のところ、

「あのー、答えるのが面倒くさくなるほどの無計画ですね。フィリピンでの事業はいばらの道。そんな甘いものではないですよ。日本と違って安い資本で始められるからと安易にスタートしても火傷するだけですよ。地雷踏んじゃいますよ」

と進出の断念(という大げさな言葉を使うほど考え抜いているとは思えないが)を示唆しているのだ。

誰でもそうなると思うが10年も進出支援の仕事をしていると少し対話をしただけで、相手の力量は値踏みできるようになる。レベルの高い事業家のハナシに「とんでもない達人がいたもんだ」と舌を巻くこともあれば、極めて実現性の低い計画「事業無計画」に失望させられることも度々ある。

でも相手から批判を受けたら切れるのもいいけれど、少しは気にした方がいいですよ。だいたいコケルまで誰も言ってくれないんだから。

「すみません。お兄さん。ちょっと事業無計画書、見せてくれますか」


340 大津の中学生自殺事件に思う

大津の中学2年生男子自殺事件について、遺族が市や加害者を相手​取り損害賠償を求めている件。

損害賠償請求額がちょっと尋常でな​いななんて思いながらも静観していたが、今日、両親が事故調査第​三者機関に某大学教授を推薦するという報道を聞くにいたって「こ​れは違うぞ」と思うようになった。

加害者たる生徒、いじめを放置​した教師、学校、教育委員会、市などに責任があることは明らかだ​。しかしである。皆黙っているが、いじめに気づかなかった「親」に監督​責任はないのか。

子どもは毎日家で寝起きをし登下校してきたわけだ。​それだけ一緒にいながら自殺するほど追い込まれている子どもの変​化に「親」が気づかないなんてことは許されない。だいた​子どもは友人や教師に自身へのいじめについて相談しているのにな​ぜ親に相談していなかったのだろう。

もしかして、親子間に対話が​なかった、信頼関係が成立していなかったということなのか。どう​考えてもおかしい。そもそも8時間程しかいない学校などに責任があるのなら、生まれた​ときからずっと、そして中学生になっても12時間も一緒にいる肉​親のその何十倍もの責任を負っている。

誰もいわないので私が言おう。

「​親は監督責任を怠り、子どもを自殺に追い込んだのだから、学校や​地域の責任を問う資格はこれっぽちもない。損害賠償でお金をもら​う資格なんかない。そんなことしても子どもが生き返るわけではな​い。加害者の生徒は未成年だから仕方がないが、死んだ子どもの親は子どもを見殺しに​した罪で投獄でもした方がいい。そして今後は「子の​親になる権利」を剥奪をすべきだ。それでないと自殺した子どもが​浮かばれない」

今回、自殺した子どもの親が自分だったらどう​するだろう。とりあえず、加害者の子どもとその親をぶん殴って、​教師と校長をぶん殴って、傷害罪で捕まって、刑期をおさめたあと​自害する。

でも自分の子どもに自殺なんか絶対させやしない。

いじめはあって当たり前だ。どんな小さな集団でも主権争いが起こるし、弱い者に対するいじめも起こる。ごく普通のことだ。問題は今回のように度を越えたいじめで取り返しの付かないことにならないよう大人、特に親がよく子どもを見守ることだ。

339 子どもが幸せでない国ナンバーワン

お隣りの韓国は人口は日本の38%に過ぎないのに年間自殺者は日本と同じ約3万人である。その統計を裏付けるがごとく別の統計「子供と青少年が感じる主観的幸福指数」では、韓国はOECD加盟国中(3年連続で)最下位だった。

5月6日付の韓国速報は「子供が幸せでない国」と題する社説を掲載し、「(韓国の幸福指数は)同じアジア圏の日本、中国に比べても非常に低調であり、夢と希望で光っていなければならない童心が、世界底辺水準の暗さとは心配だ。」と嘆いた。

また「(子供たちは)幼いころから過剰競争に押されて、寂しい生活を送っているのであり、同じ年頃に対しては、人情を感じるより、競争相手とだけ認識するわい曲された雰囲気まで生じた。「一流病」が産んだ弊害だ。」とも論じている。

競争相手を「敵」、弱者を「敗北者」としか見なせないねじれた韓国の若者の感情は、世界に進出している韓国人が活躍すればするほど、評判が悪く...なるという傾向と重なるものがある。

その良し悪しは別にして、今後の韓国の経済の見通しについて、私は、韓国の生活水準が向上するにつれて、これまで犠牲にしてきた「精神的豊かさ」を求める若者が急増し、一挙に経済発展は鈍化・減速へ向かうはず、とみている。そしてそれはかなり近い将来のことであり、早ければ5年以内ではないかと考えている。

そして、今日の韓国の破竹の勢いは、以後の歴史家により「韓国の三日天下」などと評されるのだろう。

何ごとも無理や行き過ぎはいけない。プロジェクトXの主人公は100万人に一人くらいで十分だ。

338 男子は女子に学べ

 ドイツの有力紙「ウェルト」の7月14日の社説「男子は女子に学べ」は興味深い。

 そのなかで、ドイツ社会では製造業よりもサービス業が多くなり、サービス業には女性の方が向いているのもその要因のひとつだという。

 日本に置き換えてみると、男子の「草食系化」はサービス業の比重が圧倒的に高い近年日本社会のニーズに適っているからと云えるわけだ。

 結論すると、肉食系男子より「創造力とコミュニケーション力に優れ、行動に柔軟性のある」女性に類似する草食系男子の方が進化した形態だということで、ちょっと複雑な気持ち。
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男子は女子に学べ

 2日の本紙に、男子の学校での成績が女子に追い抜かれた、との記事が出た。根本的な原因として、学校が女性に握られていることが挙げられた。確かに、2010年の集計では、教師は2対1の割で女性が多い。このため、「女子に比べ、男子の扱いが悪い」と記事を書いた記者(女性...)は言うが、筆者(男性)の場合は、男性の教師が多い学校で学んだのに、女子の成績の方が良かった。 

 思春期にある11~15歳の男子は授業で、女子よりも我慢ができにくい面がある。女子の方が肉体的、精神的に男子よりも見たところ、変化にうまく適応している。男子は反抗的で、教師にも同級生にも不必要なほど歯向かっている。その結果、学校をおざなりにする。  

 男子は、宿題はサボり、言葉を覚えようとしない。命を賭けたように、電子機器に凝る。女子は知識欲があり、他人との意思疎通にも努める。意欲があるので、成績も上がる。学校が女子を優遇するのは、彼女らの努力の成果である。 

 女子にも思春期だけに神経がいら立つことはある。融通が利かず、移り気で、小生意気な点はあるが、口が閉じるヒマがないほど、意思疎通を図ろうとする。 

 7~10年生(日本の中1~高1に相当)の男子は、スポーツに熱心で、なかばプロのように練習に明け暮れている者もいる。女子は演劇グループをつくり、彫刻に励み、合唱団やオーケストラに入る。 

 スポーツは健康や性格づくりに必要である。しかし、創造力を養うには芸術の方が重要だ。女子の成績が良い別の背景である。バカげた暗記は昔の勉強のやり方で、今は創造的な授業が大事である。そこでも女子の成績が良い。 

 女子に比べ、学校や社会で男子が劣ってきたのは社会の動きとも関係がある。サービス部門の比重が1970年の48%から2009年には73%へと高まり、生産部門との逆転現象が生じている。テレビのコマーシャルを見ても、雄弁にお客に呼び掛けるのは、若い、元気に満ちた女性である。現代的なサービス社会で、仕事への要求は一段と女性化してきた。 

 学校もこの何年か、意思疎通の能力や問題解決に向けた創造力を大事にし始めた。ところが、男子は今も男性らしさを強く打ち出すことに縛られ、「ソフト・スキル」への適応を難しくしている。 

 米国でも適応力の強い女性の役員が多い企業は、男性ばかりの企業に比べ、倒産が少ない、との統計がある。サービス文化への社会の動きはもはや逆転できない。女性の参加を得て、男性らしさを生かすしかない。若い男性はより女性的にならなければ、成功はおぼつかない。男子は女子に学ぶべきである。

337 泥臭く専門家たれ。

昨日、日本のマイナー自動車会社、光岡自動車の「オロチ」というクルマの製作のビデオを見て度肝を抜かれた。ガツンときた。社主のこだわり、デザイナーの執念。そこに日本に少なくなった侍を見た気がした。

それから考えた。自分のショックの源泉は何だったのだろう。なぜこれほどの衝撃を受けたのだろう。しばらくしてわかった。それはぬるま湯に浸かり続けてきた自分にはおおよそ生み出すことのできない何かをそこに見たからだ。

過去十数年、つまり、この不動産仲介業を始めてからというもの、必ずしもビジネスに関し、真剣に取り組んでこなかった。今もそうだ。何の躊躇もなく、わき見運転、よそ見運転でテキトーに仕事をやり過ごしてきた。仲良しクラブ日比ビジネスクラブを組織してみたり、社員から批判を受けにくい社長という立場をいいことに、興味の赴くままに、必ずしも本業に関係がない、また儲けに程遠い事業をたくさん手がけてきた。しかしここにきて確信した。

 本業がちゃんとできない奴はだめだ。
 専門家として知識のない奴はクズだ。

だいたい、不動産仲介業者として、アヤラランド社とかイートンプロパティなどいろいろな開発業者から年間売り上げトップ企業だとか上半期で最多物件を売ったとか、何度か賞を受けてきたが、それが何だというのだ。

それよりも、お客さんの業務に関わる質問に対して即座に回答ができたのか、あるいは回答を保留したとしても、数日後にきちんと回答したか。もし専門分野において満足な回答ができなかったとするならば、そしてそこに知識に対するこだわりがなかったとするならば、そんな自分は本当に専門家といえるのか。

否、否である。

突然、50歳を過ぎてから行政書士の知識の必要性に目覚め、心臓発作による死の直前までテキストを開いていた懐かしい友のことを思い出した。

毎晩ネットのアニメに泥のように浸かったり、フェイスブックだのブログだのにはまり、新聞の切り抜きやランチの写真を掲載してみたり、こんな面白いビデオを発見した、皆どう思う?とか、誕生日おめでとう、とか。いいね3つとか。

バカ野郎。一体、こんな女々しいことを日本国男児がやってていいはずがない。この腑抜けが! 喝、喝!

俺たちの人生はお子様ランチじゃない。こども銀行の通貨をくらって生きてるわけじゃないんだ。商人(あきんど)なんだから儲けはうまくて当たり前、プラスアルファで社会に専門家として貢献せにゃあハナシにならぬ。

こんなんでは東北太平洋沿岸部で被災した人たちに申し訳がない。死んじゃった人たちに言い訳が立たない。

ということで心を入れ替えて、魂に気合を注入して、明日ではなく今日から頑張るのである。
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