「マニラの風」を掲載し始めた理由
このブログは屋良朝彦が不定期に書いているものです。私がこれをを始めた2001年にはブログという語そのものがなく、こういう日記風のものは「○×のひとりごと」と呼ばれていました。独り言だったら誰もいないところでつぶやくものだと思い、私はコラムと呼んでいました。
「21世紀が幕開け、新千年紀が始まった。2001年という年を迎えたとき、ひとつ心に決めたことがある。それは縁あって暮らすことになったマニラにおける経験をできるだけインターネット上に公開してゆこうということであった。今日では日本人の外国暮らしというのはそう珍しいことではない。私が出身の明治大学政経学部岡野ゼミ同窓生に限っても、米国、英国、中国、中華民国などへ駐在中である。私の場合、妻がフィリピン人で、商売はマニラにしか存在しないため、帰任先を持つ彼らとは立場が大いに異なるが、やはり外国暮らしの日本人(在外邦人)という点は同じだ。
自分を育んだ環境と異なる社会・風俗・政治体制のもとでの暮らしには様々な部分で違和感や摩擦を感じる一方、思いがけない発見と感動が多々ある。また、インターネットは個人の意見や体験を少ない制約下で不特定多数に公開、共有化できるという意味で非常に優れたメディアであり、そのメリットを生かすような生活をしたいと考えるに至ったからである。
海外生活が足掛け14年目の長期に亘るにつれておぼえる孤独感、孤立感にとって、このメディアは救世主とも呼ぶべきありがたい存在である。なお、本来は企業の公式HPにおいてこのようにダイアリーじみた文面を公開すべきではない。しかし、私にとってマニラでの仕事と生活とは一体のものであり、何よりもあさひ不動産(現ほのぼのコーポレーション)というこの零細企業が、海外生活を選択した自分の姿そのものであるということから、あえてここにこのコーナーを開設することにした。このコーナーへのご意見は管理者へのEメール、本HPの掲示板への書きこみどちらでも構わない。フィリピンやマニラ、あるいは自身の如き生き方に関心ある多くの方からのご意見をお待ちしている。(2001年1月)」
このブログは屋良朝彦が不定期に書いているものです。私がこれをを始めた2001年にはブログという語そのものがなく、こういう日記風のものは「○×のひとりごと」と呼ばれていました。独り言だったら誰もいないところでつぶやくものだと思い、私はコラムと呼んでいました。
「21世紀が幕開け、新千年紀が始まった。2001年という年を迎えたとき、ひとつ心に決めたことがある。それは縁あって暮らすことになったマニラにおける経験をできるだけインターネット上に公開してゆこうということであった。今日では日本人の外国暮らしというのはそう珍しいことではない。私が出身の明治大学政経学部岡野ゼミ同窓生に限っても、米国、英国、中国、中華民国などへ駐在中である。私の場合、妻がフィリピン人で、商売はマニラにしか存在しないため、帰任先を持つ彼らとは立場が大いに異なるが、やはり外国暮らしの日本人(在外邦人)という点は同じだ。
自分を育んだ環境と異なる社会・風俗・政治体制のもとでの暮らしには様々な部分で違和感や摩擦を感じる一方、思いがけない発見と感動が多々ある。また、インターネットは個人の意見や体験を少ない制約下で不特定多数に公開、共有化できるという意味で非常に優れたメディアであり、そのメリットを生かすような生活をしたいと考えるに至ったからである。
海外生活が足掛け14年目の長期に亘るにつれておぼえる孤独感、孤立感にとって、このメディアは救世主とも呼ぶべきありがたい存在である。なお、本来は企業の公式HPにおいてこのようにダイアリーじみた文面を公開すべきではない。しかし、私にとってマニラでの仕事と生活とは一体のものであり、何よりもあさひ不動産(現ほのぼのコーポレーション)というこの零細企業が、海外生活を選択した自分の姿そのものであるということから、あえてここにこのコーナーを開設することにした。このコーナーへのご意見は管理者へのEメール、本HPの掲示板への書きこみどちらでも構わない。フィリピンやマニラ、あるいは自身の如き生き方に関心ある多くの方からのご意見をお待ちしている。(2001年1月)」